車内で地元の名産料理が味わえる「食堂車」。代名詞の「寒天列車」は4~8月の火曜から日曜日に運行している
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(山﨑 友也:鉄道写真家)

車内が一体になって食事を楽しむ「食堂車」

「かんぱ~い!」「いただきま~す!」そして重箱の蓋をあけると「すご~い!」「おいしそ~!」とあちこちから歓喜の声。ここは料理屋でもレストランでもなく、車両のなか。日本一活気がある列車と言っても過言ではない、明知鉄道の「食堂車」なのである。

 全国の鉄道会社はこぞって食事を味わえる列車を走らせており、一種のブームともなっている。多くが地元の食材を使用し、なかには一流シェフや料理人が監修した高級料理を振る舞う列車もあるが、どこも盛況のようである。

 このような、いわゆるレストラン列車にはボクもさまざま乗車してきたが、個人的な感想を述べさせてもらうと、ちょっとしっくりいかないところもいくつかある。その最たるものが、値段である。確かに貴重な素材を丁寧に調理すればそれ相応の対価は必要だし、列車で移動しながら食事ができるということ自体が付加価値のあるものだが、量や時間などを考慮すると、「ボクにはあわないなぁ……」と感じる列車もあったりする。味もそうだが、ボクはどうも雰囲気や空気感などに重きを置くタイプなのかもしれない。

会議室にあるようなテーブルを置いただけの簡素な車内だが、人との距離感は近く会話も弾む

 もしボクと同じように感じる人がいるのなら、この「食堂車」を絶対にオススメする。知らぬ人同士が交わり、車内が一体となって和気あいあいのムードで食事を楽しめるからだ。実際「食堂車」は大人気であり、参加者の多くがリピーターであることからも、ほとんどの人が満足しているのは疑いようのない事実である。そしてこの「食堂車」が、数あるレストラン列車のなかでも実は先駆けなのだということを知っている人はまずいないだろう。

 明知鉄道が「食堂車」を走らせたのは1987年、今から40年近く前のことだ。そもそも明知鉄道は大井(現在の恵那)から明智までを結んで1934年に開業した旧国鉄明知線。当時は貨物輸送もあり地域の人々の移動手段とされていたが、自家用車やトラックの普及により1968年に赤字ローカル線として廃止の対象に。その後なんとか廃止は免れたものの国鉄としては生き残ることができず、1985年に第三セクターとして再起を図った。

 そして徹底したコスト削減とともに、増収に向けて沿線ハイキングなどいろいろな企画が行われた。そのひとつとして、沿線である山岡町特産の細寒天を素材にした寒天料理を車内で提供する「ヘルシートレイン」が運行された。この全国初の企画はまたたく間に知れ渡り、女性を中心に人気を集め、現在の「寒天列車」につながっている。