伝仲野親王墓(京都市右京区太秦垂箕山町) 写真/倉本 一宏
(歴史学者・倉本 一宏)
日本の正史である六国史に載せられた個人の伝記「薨卒伝(こうそつでん)」。前回の連載「平安貴族列伝」では、そこから興味深い人物を取り上げ、平安京に生きた面白い人々の実像に迫りました。今回より始まる「摂関期官人列伝」では、多くの古記録のなかから、中下級官人や「下人」に焦点を当て、知られざる人生を紹介します。ぜひご期待ください。
*前回の連載「平安貴族列伝」(『日本後紀』『続日本後紀』所載分)をまとめた書籍『平安貴族列伝』が発売中です。
はじめに
先に私は、六国史のうちの平安時代を対象とした四つ、『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』に載せられた官人の薨卒伝のなかから、面白いものを選んで、解説するという連載を続けてきた。それらは二冊の単行本として出版してもらうことになったので(一冊はすでに刊行されている)、ご興味のある方はご覧いただきたい。
ところが、六国史は基本的には五位以上つまり貴族しか死亡記事が載らないし、薨卒伝は四位以上の上級官人の一部にしか載せられていない。『日本文徳天皇実録』になって、五位の官人にも、しばしば卒伝が載せられるようになったが、それでも貴族のみを対象としたものである。
一方、六国史が編纂されなくなった十世紀以降には、古記録と呼ばれる、和風漢文で記録された個人の日記がたくさん遺されている。次に挙げたのは、摂関期(十一世紀末まで)の古記録の一覧である。現在遺っているものだけでも、これだけの古記録が記録されたのである。
その中には、五位以上の中級官人はもちろん、「侍」階級と称された六位以下の下級官人も数多く登場する。彼らは、摂関家に権力が集中する時代、そして身分が固定されつつある時代の中で、それでも精一杯生きていたのである。また、古記録で「下人」と記されている、それ以下の身分の人々も、しばしば登場して、面白いことを見せてくれる。
この連載では、古記録のなかから、できる限り中下級官人や「下人」に焦点を当て、彼らの動きと人生を再現してみたい。



