
野党第1党・立憲民主党の野田代表が19日、今国会での内閣不信任案の提出を見送ると表明した。国会終盤に差し掛かって不提出の可能性が報じられてからは、立憲に「弱腰だ」との批判が向けられてきた。だが、本当にその批判を受けるのは、立ち位置を決めきれない維新や国民ではないか――。覚悟のない「第三極」の限界を、ジャーナリストの尾中香尚里氏が指摘する。
(尾中 香尚里:ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員)
維新・国民はいつまでもモラトリアムでいいのか
通常国会も大詰め。今年もまた「野党は内閣不信任決議案を提出するのか」が、季節の風物詩のように関心を集めた。
立憲民主党の野田佳彦代表が、日米関税交渉の最終盤に政治空白をつくることの是非を考慮して提出に慎重な姿勢だ、と伝えられると「政権交代を目指す迫力に乏しい」と、いかにも精神論的な批判が浴びせられた。
野党第1党をいたぶるのに「不信任案ネタ」は格好の材料なのだ。
しかし、今回の不信任案「騒ぎ」でそのありようが問われたのは、実は自民党の石破政権でも立憲民主党でもなく、日本維新の会や国民民主党といった「第三極」政党なのではないか。
これらの政党は昨秋の衆院選で石破政権が少数与党となって以降、キャスティングボートを握って与野党の間を都合よく遊泳し、我が世の春を謳歌していた。
国会では、石破政権が単独で予算や重要法案を成立に持ち込めないのを良いことに、政権政党なら簡単に採用できないような無責任な政策を突きつけ、のませようとする。選挙が近づくと突然自民党に敵対して、野党第1党の立憲民主党との選挙協力などによって利を得て、議席を伸ばそうとする。
政党として自らの立ち位置を明確にせず、与党的立場と野党的立場を都合良く使い分けながら、責任は大政党に押しつける。そんな振る舞いがいつまでも許されるわけがない。
不信任案提出問題は、いつまでもモラトリアムを生きているかのような両党に「いい加減リスクを取って自らの立場を明確にせよ」と、改めて突きつける意味を持っていたと思う。