お目当てのグルメのためなら、早朝から車で2、3時間も飛ばし、その上、店に着いても、そこから開店まで何時間も待つことをまったく苦にしないのである。

 それどころか、そんなことをするのは、まるであたりまえのようである。

 わたしが行列に並ぶのは、せいぜいキッチン南海のカツカレーのときくらいである。

※2020年に閉店したキッチン南海(本店)について書いた記事はこちら
「世界一のカツカレー」閉店でもう食べられないのか

 多い時は20人前後並んでいるが、回転が速いから待っても30分ほどだ。とても3、4時間は待てない。

 テレビが、待っている人にきく。いったいどれくらい待ってるのかと。かれらは、待ってましたとばかりに、口々にいう。

「何時間でも待つ価値がある」「ここでしか食べられない」「うますぎる」と。

 最近の流行りは、ラーメンを、寿司を、スイーツを、肉を、食べて、「しあわせ」というものだ。

 しかし、「うますぎる」とか「しあわせ」といっても、所詮ラーメンではないか。いやラーメンだけではない。寿司にしろ、肉にしろ、所詮食べ物ではないか。

 どんなにうまいといっても、限度がある。うますぎるなんてこと、あるはずがない。

 1200円のラーメンが、98円の袋麺より十数倍うまく、5万円の寿司が、1200円の町寿司の40倍くらいうまいなんてことはない。うまい、で十分なのだ。

 かれらは、長時間待つのは、「しあわせ」を手にいれるための当然の試練、修養、義務、代償とでもいいたそうだ。

 ふつう、努力しても報われるとは限らない。むしろ報われない。

 だが、待って、耐えて、金を払いさえすれば、かならず報われるものがある。それが手軽な「しあわせ」だ。

 むろん、ラーメンだけではない。すべての「推し」活がそうだ。「嵐」のラストツアー、BTS、パンケーキ、贔屓のチーム、なんでもいいのだ。

美しいラーメン、どれぐらいうまいのか

 とはいうものの、ラーメン作りに人生を懸ける職人は立派である。

 BS-TBSで、ラーメンドキュメンタリー「ラーメンを食べる。」という番組がレギュラー化した(以前は不定期)。土曜の21:54から30分番組を2本やる。

 これを見ると、かれらの絶え間ない研鑽と熱意には感心する。

 5月3日の1本目は、新宿御苑の「RAMEN MATSUI」という店。