長男・春雄氏に先立たれた信隆氏は、後継者に女婿で日本興業銀行勤務の宏明氏(79)を指名する。しかし、信隆氏の死去後の1992年、日枝氏たちによるクーデターが起き、追放されてしまう。
鹿内宏明氏退任後のグループの役員人事を発表する(左から)日枝久フジテレビ社長、小林吉彦フジサンケイグループ社長、羽佐間重彰産経新聞社社長=1992年7月、東京・河田町のフジテレビ(写真:共同通信社)拡大画像表示
この追放劇でフジは疲弊した。宏明氏寄りの社員の中には粛正された者もいる。
「日枝氏が会社の上層部を息のかかった人間で固めるのは宏明氏のように裏切られることを怖れているからでもあるのではないか」(フジ関係者)
お台場移転で失われた野性味
最後に業績不振と不祥事体質を招いた7つ目の理由である。決定的なものだ。
1997年、東京・新宿区河田町の旧社屋から港区台場の新社屋に移転したことである。宏明氏たちが決めた。
旧社屋から新宿の酒場街までは10数分。社員たちは酒場で情報収集したり、社内外の人間と議論したり。フジという会社自体、新宿を彷彿させた。気取りがなく、庶民的で、文化や芸術に通じていた。
新社屋は周囲に酒場がほとんどなく、仕事が終わると真っすぐ帰る社員が多い。まるで無味乾燥な観光地の施設。物づくりの場所とは言いがたい。









