――ここにも人獣医学の溝というか、差別的な視座があるような気がします。
宮﨑 獣医学雑誌はヒト医学雑誌よりもインパクトファクターが圧倒的に低く、とても共通のベースにあるとは言えないと思います。互いの分野に役立つ研究成果や知見があるはずなのに、非常にもったいないことです。
「親父の背中」が導いた〈三刀流〉で創薬を実現する
――研究者とビジネスマンの二刀流はまだまだ続くのですね。
宮﨑 今は製薬も手がけるので、三刀流ですね。ビジネスマン・モードは研究とはまったく異なるのですが、そんなに苦でもないのは商人の息子だからかなと思います。私の家は130年ほど続いてきた薬問屋で、父が三代目でした。家業を見て育ちましたから、自然にビジネスの作法のようなものが身についていたのかもしれません。
――「親父の背中」をどのように見ておられましたか。
宮﨑 父がいつも悔しそうにしていたのは、忘れられません。当時は薬問屋に対して医者が威張っている時代でしたから、開業医になった小学校の同級生にペコペコしなければならないのが本当に悔しそうで、私も子ども心にイヤだなと思っていました。
私は長男なので、四代目を継ぐべく大阪大学薬学部を目指していました。その頃は多くの製薬会社が大阪にありましたから、ベストな進路です。それが高3の秋頃になって、いきなり父が東大の理三に行けと言い出した。他の家族は猛反対しましたが、なぜか父は頑として譲りませんでした。
父は同じ思いを息子にさせたくなかったのか、東大卒の医師にして溜飲を下げたかったのか……結局、誰にも理由を言わなかったので本当のところはわからないのですけれど、親父の気持ちがAIM薬につながっていると思うと、不思議なものです。