「とにかく銀行アプリの額面を増やして」という切実な要求
「手取り主義」は、結果的に税収減や公共サービスの低下を招きうるという点で、「小さな政府」ということになるだろう。しかし、この議論の出どころは、財界やアメリカ発の「新自由主義」のイデオロギーだといって片付くようなものではない。
2024年の「石丸現象」や「玉木現象」などを踏まえれば、それは現役世代の有権者を中心に、市民社会に一定の現実的基盤を持っている。
税や社会保険料を払ってもそれがリターンされている実感がない。であれば、将来リターンされる確信もない政府の再分配よりも、とにかく来月の手取りの数字を増やしてくれ、給料日に銀行口座アプリを開いた時に目に飛び込んでくる額面を増やしてくれ、という「切実な」要求から来ている。
政治の公共的果実を実感できない有権者が、減税と手取り増を通じて、個人の自活と自己防衛に活路を求めるのは当然のことであろう。
しかし、眼前の生活はもとより、病気や加齢など将来不安への備えもすべて自己防衛で行おうとする人々の先に導かれる社会の姿は、おそらくいささか荒涼としたものだろう。
ここにあって、税負担から逃げず負担を正面から訴えて「分かちあいの社会」を作る理念は、減税一本鎗のポピュリズム的公約に比べて、責任ある政党の姿であり、政府の公共的役割を再定義する道筋といえる。
とはいえ、国民の間の政治不信がこれほど高い日本において、どのようにして政府への信頼を取り戻し、子育てや教育、介護や年金への政府の役割とその財政的基盤を取り戻すかは、容易な課題ではない。分断と対立に沈みかねない日本に、今再び「公共的自治」を復権させるためには、それを望む人々の尋常ならざる意志と覚悟が求められる。
参考文献
◎濱口佳一郎「神聖なる憎税同盟」『税務弘報』中央経済社、2023年9月号
◎宮本太郎・濱口桂一郎・住沢博紀「宮本太郎提言は“神聖なる憎税同盟”の壁を打ち破れるか」『現代の理論』第28号、2021年11月10日
◎伊藤昌亮「『石丸・玉木・斎藤現象』で可視化された苛立つ若者たち」『潮』潮出版社、2025年2月号
◎伊藤昌亮「『オールドなもの』への敵意」『世界』岩波書店、2025年2月号