寅子は1932年に明律大学女子部に入学する前から桂場と親交があった。終戦後の1947年、寅子が司法省(現・法務省)に採用を求めたときの人事課長も桂場だ。
その後も寅子は桂場に支えられてきた。第108回と109回で、寅子が後輩判事補・秋山真理子(渡邉美穂)の産前・産後の待遇改善を図ったときにも支援をしてもらった。
それが最終盤で対立するとなると、まるで御都合主義のようだが、そうではない。2人の衝突は最初から約束されていた。桂場のモデルで第5代最高裁長官の石田和外さんも多くの裁判官たちと対立したからだ。
少年法改正に反対した「家庭裁判所の父」
NHKは公式には認めないが、このドラマに出てくる裁判官たちにはモデルがいる。たとえば「家庭裁判所の父」と呼ばれた多岐川幸四郎(滝藤賢一)のモデルは宇田川潤四郎さん。やはり家庭裁判所の父と呼ばれた。
多岐川は茨田りつ子(菊地凛子)が出演した「愛のコンサート」を主宰したが、宇田川さんもチャリティコンサートをたびたび行った。集まった金は戦災孤児のために使っていた。
少年少女たちの更正に生涯を捧げた宇田川さんは1970年、直腸がんによって63歳の若さで亡くなる。死の数日前には寅子のモデルである三淵嘉子さんを呼び出し、「死んでも死にきれない」と訴えた。当時、少年法の対象年齢の引き下げが議論され、18歳以上の場合は成人とほぼ変わらぬ扱いにしようという意見が出ていたためだ。