洒脱な装飾音や経過音、ジャズの言葉を使えば渋い「テンションコード」など、凡庸な「ボタ餅和声」とはおよそ無縁のクールな間宮さんたちの音楽を、英語教材という形で、同じ和声や旋律の形で何度も何度も繰り返されるわけですから、今現在も鮮明に、脳裏に響きが蘇ります。

 のち小学2年次、私は林光さんの大河ドラマ・テーマ「国盗り物語」(1973)で、音楽を生涯の仕事にしようと子供ながらに決心しました。

 西欧音楽の「書法」というものを考える決定的な端緒を与えていただいたのが間宮さんのNHK「ドラマ人間模様『事件』(大岡昇平原作)」(1978)の音楽でした。

 いまリンクを貼りながらも背筋を走る感動を抑えられないのですが、チェロを弾いていましたので、冒頭3音目の低音(バス)は驚くべき音程進行(減5度といいますが)と、それにより実現する極めて病みきった「減4の和音」、続く第四音から第五音への音の跳躍(長7度と言いますが)など、ありとあらゆる細部はただただ驚嘆するしかありません。

 当時のテレビ放送ですから1回しか流れず、初回に衝撃を受け、1週間後第2回を必死で聴音して譜面に起こし、驚愕すべきポリフォニーの動きに決定的な影響を受けました。

 音楽や藝術作家としての仕事の話題としては、ここから「ポスト・ダダ」や「偶然性」と「柳宗悦と民藝運動」「棟方志功」など、一見すると全く違う方向にある芸術が、実は透徹した本質で繋がる様態などに進みます。

 しかし、ここでは「追悼」のAI出力を末尾に付し、読者に関心があるようでしたら、ポスト生成AI「表現教育」の話題として、別原稿を準備したいと思います。

 間宮さんは決して派手なスタンドプレーはなさらず、ときとして非常に子供っぽいところおもお見せになる方でした。

 一方で、「1945年8月15日」の玉音放送と、それに続く「教科書墨塗り」を経験した世代、実質最後のお一人として、21世紀に入っても創造的反骨の気概をお見せになっておられました。

 また東京芸大の非常勤講師として、間宮さんや林光さんが指導された「室内楽」は、極めて秀逸なもの=というか原理原則的、世界のオーソドックスというか=だったと思います。

 楽曲の譜面に記された、すべての音符の意味や機能を理解していることは解釈の大前提ですが、昨今、本当にこれが払底しています。