創価学会・公明党や統一教会の研究が進まなかった理由

櫻井:戦前の国家神道は国体と天皇制を国民に強制しており、国家による信教の自由の侵害という側面がとても強かったため、戦後は靖国神社や護国神社、あるいは地域の神社において町内会の人たちが氏子費を強制的に収集するという問題に議論が集中しました。

 一方で、特定の宗教が個人の信教の自由を侵害する側面については、あまり学問的に論じられてきませんでした。

 加えて、1960年代、1970年代に、創価学会と公明党の政治参加をめぐり、左派系メディア、左派系の学者、日本共産党、社会党などが批判的な言説を展開しましたが、そうしたメディアや団体も勢力を落としています。

 そして、宗教団体の研究をする研究者の数も減ってきました。ですから、創価学会・公明党は、日本にとっては大きな研究テーマなのに、このテーマを正面に据えた研究が少ないのです。

 統一教会と自民党の関係に関しては、国際勝共連合も含めて、知っている人は知っている。では、なぜ統一教会と自民党に関する研究が進まなかったのかといえば、1987年に、赤報隊事件があったからです。

 この事件では、朝日新聞社の社員が銃撃されて死亡しました。事件当時、朝日新聞は国際勝共連合のことや統一教会のことを調べていましたが、結果的には半ばうやむやな形で引いてしまいました。

 最近、樋田毅さんというジャーナリストが、統一教会の元広報部長だった大江益夫さんの手記を聞き取りの形で公表されました。その本の中で大江さんが言っていますが、世界日報の編集長が統一教会本部の方針に従わなかった結果、襲撃されて大怪我をする事件がありました。

 そのような武闘派組織が統一教会の内部にあって、赤報隊事件では、末端の人たちが上の命令に従わずに暴発した可能性があると大江さんは語っています。国際勝共連合や統一教会が危険な行動に出る可能性があるということで、統一教会の問題は知られてはいたけれど、リスクを引き受ける研究者はいなかったということです。