「バカバカしい」と反対された藤原道長と源倫子の結婚話

 一方、三郎こと藤原道長もまた「変化」していく。父の兼家が道長に「そろそろお前も婿入りせねばのう」と言い出して「左大臣の一の姫はどうじゃ」と具体的に相手を挙げている。「左大臣の一の姫」とは前述した源雅信の娘、倫子のことだ。その理由として兼家はこう言っている。

「左大臣の源雅信は宇多天皇の血筋。土御門も見事な屋敷。血筋と富は申し分ない」

 源雅信は宇多天皇の第8皇子・敦実親王の三男にあたる。説明のとおり、血筋は申し分なく、兼家としてもつながっておくに越したことはない。

 もしかしたら、「宇多天皇の血筋」と聞いてピンと来た人もいるかもしれない。ドラマでは、長女の倫子が猫を飼っており、たびたび登場する。実は、宇多天皇も猫を飼っていたことが、天皇自身の日記の記述からわかっている。宇多天皇が飼っていたのは、墨のように漆黒な猫だったという。

 猫の様子を観察しては、日記にその姿を生き生きと書いた宇多天皇。ドラマで、倫子が猫をかわいがっているのは、そんな血筋を継いでいることを示しているのかもしれない。

 さて、ドラマからいったん離れて、実際に道長と倫子はどんな仲だったのか。

 延元(987)年、父の兼家が摂政となった翌年、22歳のときに道長は倫子に求婚。道長のほうが倫子に熱を上げたようだが、父の源雅信からは反対されている。

 それも無理はない。このときの道長は従三位・左少将。左大臣の娘婿となれるような立場からは程遠かった。平安時代の歴史物語『栄花物語』によると、雅信からすれば「将来の后(きさき)に……」と大切に育てた娘を「口わき黄ばみたるぬし」(青二才)にやることなどできない、という思いがあったようだ。雅信は、道長との結婚話を「あな物狂ほし」(バカバカしい)と即却下している。

 そんな文献の記述を踏まえれば、ドラマでも、源雅信が結婚に反対するに違いない。そこで活躍するのが、倫子の母で、石野真子演じる藤原穆子(むつこ)であろう。

 なぜかといえば、文献をひもとくと、夫の雅信が娘と道長の結婚に反対するなか、倫子の母だけは道長の才を見抜いていた。道長の姿を賀茂祭や行列などでみては、「この君ただならず見ゆる君なり」と感心していたという。

 そのときの直感を信じて、倫子の母は「この話は私にお任せください」とまで言って、夫の説得に成功。道長と倫子は、永延元(987)年12月16日に結婚を果たす。