(ライター、構成作家:川岸 徹)
狩野派に学びながら、独自の風俗画を追求した江戸時代の絵師・英一蝶(はなぶさいっちょう)。没後300年を記念した回顧展「没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―」が東京・六本木のサントリー美術館で開幕した。
医師の家に生まれ、江戸狩野派に入門
伊勢亀山藩主お抱えの医師を父に持ち、幼少の頃から絵の才を発揮。15歳(8歳とする説も)で超名門・江戸狩野派に入門し、狩野探幽の弟・狩野安信に学ぶ。当初はアカデミックな絵画教育を受けるものの、菱川師宣や岩佐又兵衛ら時の人気絵師に触発され、次第に市井の人々を題材にした風俗画を描くようになる。松尾芭蕉や宝井其角といった俳人と交流を持ち、自らも俳諧をたしなむなど、幅広いジャンルで才能を開花させていく。
元禄年間(1652~1724)前後に、江戸を中心に活躍した絵師・英一蝶。生誕から万事順調といえる道のりを歩んできたが、どこでどう間違ったのか、急転直下の転落人生を経験してしまう。47歳の時に三宅島へ流罪となり、島流しはその後11年間にも及んだ。人気絵師に一体何が起こったのか。英一蝶の画業と合わせて、波乱万丈といえる人生を振り返ってみたい。
町人の姿を描いた風俗画で人気を博す
町人文化が栄えた元禄時代。若き日の英一蝶、この頃は“多賀朝湖(たが・ちょうこ)”と名乗っていたが、彼が描く風俗画は町人を中心に広く愛された。《投扇図》は、御神木の脇にある大きな鳥居に向かって扇を投げる男たちを描写した作品。神様に向かって扇を投げつけるとは不敬な行為のように思えるが、当時は願掛け・運試しとして流行していたらしい。ご利益を願う庶民の生き生きとした姿が何とも印象的だ。
初期の作品では全三十六図から成る《雑画帖》も見ごたえがある。山水、人物、花鳥、走獣、戯画、風俗画など、画題は様々。丸まった猫の柔らかな毛並みの表現が見事な「睡猫図」、布袋様が持ち歩く袋の中に布袋自身が入ってしまったユーモラスな「布袋図」など、「何を描いてもうまい」といわれる一蝶の画力を堪能することができる。