ちなみにこの地域では、ecを持っていた建物所有者の比率は、40%にすぎなかった。プログノス研究所は「道路などの公共インフラや保険がかかっていなかった家屋の被害なども含めると、アール川流域の経済損害の総額は405億ユーロ(6兆9000億円)にのぼる」と推計した。この推計が正しいとすると、保険でカバーされたのは、被害額の22%にすぎなかったことになる。

 アール川流域の被災地域では、洪水で家屋が破壊された地域に再び家屋が建設されている。市民たちが、生まれ育った地域を復興させるために同じ場所に建物を再建したいと思う気持ちは理解できる。だがリスクマネジメントの観点から言うと、問題が残る。GDVは、「アール川流域のように洪水の危険が高い地域には、本来建物を建てるべきではない」と指摘している。

 GDVの統計によると、1973年から1999年までの29年間に、支払保険金額が50億ユーロ(8500億円)を超えた自然災害は3回発生した。しかし2000年から2022年までの22年間に支払保険金額が50億ユーロを超えた自然災害は5回起きている。

 保険会社に再保険カバーを販売する再保険会社の大手、スイス・リー(本社・チューリヒ)が2024年3月26日に行った発表によると、2023年に全世界で発生した自然災害による経済損害額は2800億ドル(42兆円・1ドル=150円換算)で、そのうち38.6%が保険業界によって支払われた。残りの61.4%には保険がかけられていなかった。スイス・リーは、「今後は地球温暖化によって極端な気象災害の頻度が増える。このため、自然災害による経済損害額が、10年後に現在の2倍に増える可能性がある」と警告している。

 日本経済新聞は6月9日付の紙面で「日本では、水害による面積当たりの資産への損害額が過去30年間で3.5倍に増えた」と報じ、激甚水害の危険性について警鐘を鳴らした。今後は日本でも、激甚水害のコストを国や地方自治体が負担するのか、それとも保険業界が負担するのか、負担をどのように配分するのかという議論が行われるだろう。我々日本人にとっても、ドイツで行われている水害コストの負担をめぐる議論は決して対岸の火事ではない。

熊谷徹
(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。

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