(英フィナンシャル・タイムズ紙 2023年3月27日付)

ファシズムの特徴の一つは様々な差別を標榜することにある

 我々が今目の当たりにしているのはファシズムの再来なのだろうか。

 今日の最も重要な例を挙げるとするなら、ドナルド・トランプはファシストなのか。フランスのマリーヌ・ルペンはどうか。ハンガリーのオルバン・ビクトルはファシストなのか。

 その答えは、「ファシスト」という用語をどんな意味で使うかに左右される。だが、我々が現在目にしているものは単なる権威主義ではない。

 ファシズム的な特徴を併せ持った権威主義だ。

ナチズムとファシズムの違いと古今の区別

 議論を始める前に、2つの区別をはっきりさせておく必要がある。1つ目は、ナチズムとファシズムの区別だ。

 人文学者で小説「薔薇の名前」の著者でもある故ウンベルト・エーコが1995年にニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌に発表した「原ファシズム」についてのエッセイにあるように、「ヒトラーの『我が闘争』は完成された政治プログラムのマニフェストだ」。

 権力の座にある時には、ナチズムはスターリン主義と同様に「全体主義」だった。何もかも支配したという意味だ。

 ムッソリーニのファシズムは違った。

 エーコに言わせれば、「ムッソリーニにはいかなる哲学もなかった。あったのはレトリックだけだ・・・(中略)ファシズムは『ファジーな』全体主義であり、異なる哲学・政治思想のコラージュであり、矛盾の集合体だった」。トランプも同様に「ファジー」だ。

 2つ目の区別は当時と今日の違いだ。

 1920年代と1930年代のファシズムは第1次世界大戦から生まれた。手段と目的の両方において本質的に軍国主義的だった。

 それに当時は、命令を拡散させるためには中央集権的な組織が必要不可欠だった。今では、その仕事の大半をソーシャルメディアが担ってくれる。