生霊となったきっかけの「車争い」

 六条の御息所が「物の怪」つまり「生霊」になってしまった“きっかけ”とされる事件がある。それは「車争い」と呼ばれる事件で、京都一の古社・加茂社の例祭・葵祭で起こった。もっとも、葵祭当日ではない。葵祭に先立って行なわれる斎院御禊(ぎょけい)の日の出来事だ。

 この年、桐壺帝が譲位し、朱雀帝が即位した。そのため、通常より賑やかな祭が計画され、その目玉として、光源氏が御禊の行列に供奉(ぐぶ)することになった。光源氏の美しい姿を間近に見られるとあって、通りは見物人で大賑わい。光源氏の妻・葵の上も見物にやってきたものの、葵の上一行は準備不足で、場所の確保もしていなかった。そこで地位と権力に物を言わせ、質素なしつらえの牛車を無理やり立ち退かせた。

 それこそ、お忍びできていた六条の御息所の網代車だったのだ。この屈辱的な敗北が、御息所の生霊化の契機となり、物語は葵の上の死へと展開していく。

『あさきゆめみし 新装版』第2巻P20-21より ©大和和紀/講談社『あさきゆめみし 新装版』第2巻P20-21より ©大和和紀/講談社

夕顔を取り殺したのはだれ?

『源氏物語』では、葵の上は六条の御息所の生霊に取り殺された、と読めるようになっている。一方で、夕顔を取り殺したのは何かについては、諸説ある。『あさきゆめみし』が採用しているのは、六条の御息所の生霊が夕顔を取り殺した説である。

――夕顔のような大した身分でもない女に、愛する光源氏を奪われてしまうことに、誇り高い六条の御息所のプライドは傷ついた。薔薇の花びらを無意識にかじる六条の御息所の姿は美しくも凄絶である。『源氏物語』にこうした場面はない。
(P46・吉井美弥子「夕顔を取り殺した物の怪、その正体とは?」より)

 『あさきゆめみし 新装版』第1巻P140より ©大和和紀/講談社 『あさきゆめみし 新装版』第1巻P140より ©大和和紀/講談社