中国大返しの本当のキモは、秀吉の判断の速さに求めるべきだろう。変事の第一報に接するや、ただちに戦線をペンディングさせ、軍を反転させる決断をためらわずに下し、実行に移したところが、秀吉の勝因なのである。
この秀吉の迅速な決断についても、不思議がる人が多い。6月3日夜の第一報の時点では、情報の真偽も信長の安否も確認できていないからだ。毛利方への密書を謀略と疑うことなく撤退を決断できるものなのか? いや、それをいうなら、このタイミングで光秀からの密使を捕まえた、という話そのものが出来すぎではないのか?
現状では、戦国史研究の第一人者のである先生方までもが、こうした点に疑問を呈し、秀吉は光秀が謀叛することをあらかじめ知っていたのではないか、などと大まじめに論じている。しかし、秀吉の迅速な判断と行動は、筆者にいわせれば不思議でも何でもない。秀吉が置かれた「現場」の状況を「作戦」という観点から分析すれば、むしろ当然の判断とすらいえる。
どうも、研究室で史料や論文を読んでいる先生方は、戦場という現場で起きている事件を、「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。(つづく)