中国大返しに見る戦国武将の危機管理術 1 2 3 不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 中国大返しに見る戦国武将の危機管理術(前編)【JBpressセレクション】 2024.3.23(土) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア15 Tweet この写真の記事へ戻る 本能寺跡。天正10年6月2日未明、明智光秀はここに織田信長を襲って自害させた。撮影/西股 総生 豊臣秀吉像(wikipediaより) 山崎合戦の際、光秀が本陣を置いたという恵解山古墳。撮影/西股 総生 宇喜多秀家像(Wikipediaより)。秀吉は万一毛利勢から追撃される場合を考え、備前に宇喜多秀家の軍を留め置いていた。 備中高松城跡。城は低湿地に囲まれた微高地に築かれていた。画面奥が本丸跡。撮影/西股 総生 安土城天守台の礎石。本能寺の変ののち光秀は安土城を接収したが、畿内周辺の大名たちを味方につけることができなかった。