不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 本能寺跡。天正10年6月2日未明、明智光秀はここに織田信長を襲って自害させた。撮影/西股 総生 (画像1/6) 豊臣秀吉像(wikipediaより) (画像2/6) 山崎合戦の際、光秀が本陣を置いたという恵解山古墳。撮影/西股 総生 (画像3/6) 宇喜多秀家像(Wikipediaより)。秀吉は万一毛利勢から追撃される場合を考え、備前に宇喜多秀家の軍を留め置いていた。 (画像4/6) 備中高松城跡。城は低湿地に囲まれた微高地に築かれていた。画面奥が本丸跡。撮影/西股 総生 (画像5/6) 安土城天守台の礎石。本能寺の変ののち光秀は安土城を接収したが、畿内周辺の大名たちを味方につけることができなかった。 (画像6/6) 不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 この写真の記事を読む