戦前、戦中に台湾、香港などで使用されていた「軍票」(写真:時事)

日本の政府債務は1200兆円規模となり、GDPの約2倍に達した。一方、日銀の国債保有割合(国庫短期証券を除く時価ベース)は2023年3月末時点で53.3%と過去最大の水準だ。財政状況の悪化や、日銀による事実上の国債引き受けに対しては、その弊害について指摘されてきた。今回は、戦時末期に負債が負債を生むという、負のスパイラルに陥ったわが国の財政状態から、どんな教訓が得られるか考えてみたい。

(平山 賢一:東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト)

国債から借入金へシフト

 時代は遡り80年前の話。わが国は、多くの政府債務を抱え、戦時物資の調達に苦しみながら終戦を迎えた。終戦直前の1944年度末の国債残高は、約1095億円。当時のGNP推計額対比で100%を上回る規模であった。それだけに、現代を生きるわれわれが抱くイメージは、国債を大量に発行し、それを日本銀行が引き受けて、軍事費を賄っていたというものである。

)小池良司(2023)「明治期から戦後復興期までの日本銀行バランスシート:データの整理とその変遷」『金融研究』第42巻第3号、17~68頁、参照

 しかし、戦時末期の実態は、このイメージとはかけ離れていたようだ。現代も政府債務の拡大に悩まされているだけに、戦時末期の有様を詳しく見てみるのも何かの参考になるかもしれない。以下では、戦時末期に負債が負債を生む、負のスパイラルに陥ったわが国の財政状態について整理してみたい。

 戦時期の国債発行額は、膨らむ軍事費を捻出するために巨額化した。そして、戦況の悪化に伴い、計画的に資金調達する意味が失われる状況に陥った。日々、変化する戦況の悪化に対応して、必要とされる資金額が刻々と変化したからである。そのため政府は、より機動的に資金を調達できる方法を求めるようになった。

 具体的には、定期的な国債発行計画に頼らず、その都度必要な資金を借入金で対応するようになったのである。国債から、借入金へのシフトである。

 この動きは、国内よりも占領地(現地)において顕著であった。国内に比べて、大陸の占領地などでの、物価上昇および変動は凄まじく、戦時物資の調達は困難を極めたからである。

 現代を生きるわれわれが想定する以上に多額の資金が、占領地で借入金により調達されていた。最終的には、現地で日本政府が借り入れた額は、国債発行残高の5倍弱にまで膨らんだのである(1944年度末)。政府・日本銀行は、市場介入をして国債利回りを低く抑え込んでいたものの、実態は火の車であった。戦時末期の経済的混乱は、各所で歪みとなって噴出せざるを得なかったのである。