岐阜駅前の織田信長像 写真/フォトライブラリー

  新刊『戦国大変が反響を呼ぶ乃至政彦氏。本書の主眼を「戦国の風景と感覚を見えやすくする」と語るとおり、「桶狭間の戦い」「関ケ原の合戦」などその名の知られた戦から「大寧寺の変」「姉川合戦」など歴史の教科書ではなかなか触れられることのない合戦まで、一次史料をもとに「新しい解釈」を提示している。

 ここでは、著者自らが本書を上梓するに際して込めた思いと、「戦国時代」における「武士」とは、そもそもどういう存在なのかについて伺った。

「戦国時代」をいかに捉えるか

 今回、上梓した『戦国大変』は、「戦国時代とは何か?」という根源的なテーマに答えようという形で、まとめさせていただきました。

 この本をまとめるに際しては、本能寺の変や関ヶ原合戦などといった、戦国時代の事件や合戦を、時系列で掲載する体裁を取りました。最初から最後までを一冊の流れとして読むと、「ああ、戦国時代って、こんな時代だったのだな」ということが、理解できるのではないかと思います。

 戦国時代というのは、日常的だった中世という時代が、非日常的な戦争のある中世になっていった時代だとお考えいただければ、わかりやすいかと思います。

 戦国時代の合戦は、基本的に、武士と武士が戦うのが主体でした。しかし、戦争が常態化してくると、百姓(農民)にとっては、武士によって自分の耕している田んぼが荒らされたりする場合がある。これに、どう対応するかということを考えないといけなくなりました。また、武士は武士で、百姓を相手にどうするかということを、考えながら戦う必要がありました。

 現代の戦争は、国と国の争いが多いですが、戦国時代というのは、日本国内での争いですから、同じ文化で、戦う相手も下手をすれば、お互いが顔を合わせている人たち同士である可能性もあります。

 また、機能としては非常に弱かったものの、当時は、まがりなりにも朝廷や幕府があり、皆がそれを上に戴いていました。その前提の下で戦争が頻発した時に、何が起こったのかというのを考える必要があるのです。

 当時の武士は、今でいうと、地主によく似ています。土地があって、そこからの収入が安定的に入る。そこに戦争が起きて、それを奪われたり、奪ったりすることが繰り返されました。争いの理由は、「土地が欲しい」という以外にも、いろいろありましたが、やがて隣同士で戦っていると、周りから「やめろ」といわれたり、あるいは「助太刀するぞ」といって、助けてくれる味方が出てきたりします。こうして、地方においても、だんだん戦争が大きくなっていったわけです。

 そんななかから戦国大名が現れて、「オレのいうことを聞け」「オマエたちも来い」ということになり、各地の国人領主=地主たちを動員して、大きな戦争になっていきました。

 こういう流れのなかで、武士たちも、それに対処していかないといけなくなってきます。これを念頭に置いて、戦国時代を扱った大河ドラマなどを見ると、時代の変化を意識できるのではないでしょうか。