桶狭間古戦場公園にある今川義元像

(歴史家:乃至政彦)

 果たして戦国大名は武力を持って「上洛」したのか――。戦国時代における重要なテーマについて『戦国大変 決断を迫られた武将たち』 を発売し注目を集める乃至政彦氏が、今川義元らを中心とした戦国大名の軍事上洛の意思について考察する。

戦国大名と率兵上洛

 最近考えていることのひとつは、戦国大名の「率兵上洛(軍事上洛)」である。

 「率兵上洛」とは、軍勢を動員して、武力で京都に乗り出すことである(上杉謙信は2度ばかり上洛しているが、武力で入京しておらず、平和裡の上洛である)。

 次の東国大名は、「率兵上洛」を考えていたとされている。

 駿河の今川義元、尾張の織田信長、甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信──。

 この中では、織田信長ひとりが、天の時・人の和・地の利を得た上で、率兵上洛を成功させるに至っている。

 戦国時代の上洛は、敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことがその目的となることが多かった。

 このうち桶狭間合戦で討たれた今川義元は、かつて上洛を望んでいたとする説が強かったが、近年は尾張併呑までしか望んでいなかったとする見方に塗り変わっていて、これがほとんど定説と化している。