2015年3月6日、釈放後にボクシング観戦をする袴田さん 写真/山口裕朗/アフロ

(田丸 昇:棋士)

月光を見てわずかな希望と自由を抱く

《月光は何故か 私に希望と安らぎを与えるものである それはあの月を娑婆でも 多くの人が眺めていると思う時 月光を凝視することによって その多くの人と共に自由であるからである》

 これは、1966年(昭和41)に静岡県清水市で起きた殺人事件で犯人として逮捕され、死刑囚となった袴田巖さん(87)の獄中日記の一節である。

 東京拘置所の死刑囚の独房は4舎2階にあった。窓から顔を少し出すと、月を眺められ、風を感じられた。袴田さんは月光を見ることで、ごくわずかな希望と自由を抱いたのだ。

 起床時間は朝7時半。死刑執行の日は、9時までに看守が独房に迎えに来る。看守が来ないと「今日も一日、生き延びた」と安堵し、窓を開けて隣の囚人と「おはよう」と挨拶を交わす。正月の元旦は、照れながら「おめでとう」と新年を祝う。

 こうして自身の死と向き合った長い年月が続いていた・・・。

2014年に48年ぶりに釈放

 2014年3月27日。袴田さんの無罪を訴え続けてきた姉の秀子さん(90)の切実な願いは、弁護団の支援によってついに叶った。静岡地裁は再審開始と死刑および拘置の執行停止を決定した。袴田さんは48年ぶりに釈放された。

 2016年に袴田さんの日常生活を写し取ったドキュメンタリー映画『袴田巖 夢の間の世の中』が上映された。冒頭の獄中日記の一節、東京拘置所の日々は、映画のパンフレットから抜粋した。

 私こと田丸昇九段は2016年にその映画を見て、袴田さんが楽しそうに将棋を指す一場面があったので驚いた。袴田さんの将棋に関するエピソードについては後述する。