建造物にコストと保守性に優れた素材を使うのは当然のことだ。機能を考えればシンプルな形になる。だが、そのような効率一辺倒の新しい灯台たちには、一方で味気なさも感じられる。
明治時代の人々がコストや効率ばかりを考えていたら、いま、われわれが男木島灯台を「味わう」ことはできなかった。長い年月の利用に耐えるだけでなく、味わい深い建造物を作る、という“精神”が明治の人にはあっただろう。その努力は現代でも続けてほしいと思う。
味気ない灯台で味わえるものもある
品格のある男木島灯台は、ちょっと手間をかけても実物を見に行くだけの価値があると思う。ただ、それを堪能して、定期船で高松港に戻るときは、途中の女木島にも立ち寄ってほしい。
女木島には観光スポットとして桃太郎伝説に結び付けられた「鬼ヶ島大洞窟」があるが、それではない。港から、洞窟や海水浴場とは逆方向に20分ちょっと歩いたところに「女木島灯台」があるのだ。
女木島灯台が点灯したのは1956(昭和31)年と、割と新しい。なので、まっ白で円筒形という味気ない外観だ。男木島灯台のように、わざわざ見に行くようなものではない。
女木島灯台のいいところは、灯台そのものではなく、「ほかに人がいない」ことだ。特徴のない灯台をわざわざ見にくる人はかなり少ないだろう。狭い敷地で灯台のそばに座り、静かな時間のなかで穏やかな瀬戸内海を眺める。これもまた、灯台の一つの楽しみ方だと思う。
男木島灯台、女木島灯台への実際の行程については、別記事をブログに書いたので、そちらを参照してほしい。
暖かい色合いと上品なデザイン、男木島灯台の美しさはピカイチ
女木島灯台までは単調な上り道だが、最後に難関が待っていた