高級石材の風合を生かすため
それは良質の御影石(みかげいし)である「庵治石(あじいし)」を使っているからだ。
石造りの灯台の多くは、硬く、風雨に強い花崗岩を使っている。御影石は、墓石などに使う花崗岩を指す“石材”の名前、そして香川県高松市東部の庵治町・牟礼町で産出される御影石が庵治石だ。
庵治石は花崗岩の中でも結晶が小さい。このため、水を含みにくいので風化しにくく、細かな細工がしやすいほか、模様が美しいなどの点が他の花崗岩よりも優れているために、高級石材として評価されている(「土木学会選奨土木遺産 男木島灯台の解説シート」より)。
このような庵治石を使ったので、その石の特徴と風合を生かすために、あえて塗装をしなかったのだと思われる。そして、その配慮が、150年後の今となっても美しい姿であることにつながったのだ。
石造りの灯台は、前出の大久野島灯台のように、ゴツゴツとした表面が特徴で、これが明治期の灯台の大きな魅力ではある。それに比べると男木島灯台の壁は“ゴツゴツ感”が少ないのがわかる。
なお、このように塗装をしていない石造りの灯台としては、ほかに角島灯台(つのしまとうだい、山口県下関市)がある。写真を見る限りでは、角島灯台の方が茶色味の少ない、灰色に近い色のようだ。男木島灯台の暖かな色合いは日本で唯一味わえるものと言っていい。
なぜ庵治石が使われたかは、男木島周辺の地図を見るとわかる。
男木島(おぎじま、香川県高松市)は、瀬戸内海にある島で、高松市街の北に位置する。南側(市街との間)にあるのは女木島(めぎじま)だ。一方北側には直島、豊島、小豆島が並んでおり、瀬戸内海を東西に行き来する船のほとんどは、男木島とこれらの島の間の狭いところを通る。
高松市街の東にある半島は、那須与一が活躍した「屋島の戦い」で有名な屋島。屋島からは男木島、女木島がすぐ近くに見える。
屋島の東側にもう一つある半島が、庵治石の産地である高松市庵治町と牟礼町だ(中央に五剣山という山がある)。
灯台建設に必要な大量の石材の運搬はやっかいだ。それが明治時代であればさらに大変な苦労だったはずで、運搬には主に船が使われたと思われる。
良質な花崗岩(庵治石)の産地から船で運びやすい近さにあったこと。これが男木島灯台に庵治石が使われた大きな理由だろう。