結婚した後、一番驚いたのは、妻がよく倒れることだった。

 当時妻はアングラ劇団の役者をしていて、専業主婦に納まるつもりなど毛頭なく、結婚する前と変わらぬペースで自分の人生を突っ走ろうとしていた。昼間はアルバイト、夜は芝居の稽古と無理を重ねて、ふた月に1度くらいの割合で高熱を出す。

 好き合って一緒になったくせに、夫婦という関係に引っ張り込まれまいと遮二無二手足をばたつかせているのだから、心身に無理が来るのは当然である。

 結婚から3年後に小学校教員に転身した後も、妻はよく熱を出した。

 手を抜くとか、マージンを残しながらといった発想が根本的に欠如しているらしく、学校では生徒たちを相手に全力を尽くし、帰宅後もテストの丸付けや教材研究に時間と労力を注ぎ込む。

 私は私で、慣れない力仕事に体力気力を搾り取られて、やはりふた月に1度は熱を出した。

結婚してみて分かったこと

 結婚してみて分かったのは、夫婦になるとは、自分と同じように頑張り、悩み、くたびれ果てては熱を出す1人の女性と顔を突き合わせて暮らすことであって、ある意味煩わしいことこの上ない。しかし、それはお互い様なのだし、私にはそうした煩わしさを抜きにして幸せがあるとも思えなかった。

 そういった次第なので、日々の家事は必要最小限に留めて、掃除も洗濯も買い物も、休みの日にまとめて一気にというのがその頃の生活スタイルだった。学生時代に寮で暮らしていたせいもあって、私は炊事洗濯から繕い物まで身の回りのことは何でもしてきた。

 しかし妻が掃除をすると部屋は見違えるようにきれいになったし、私には洗濯石けんからゴミ袋まで一切合財の日用品の消耗具合を把握し、困らないように買い足しておく芸当などとうてい不可能だった。

 ただし料理については妻も素人同然で、日曜日の夕方に2人で餃子を包んでいると、明らかに私の方が手際がよかった。

 ベランダいっぱいに並んだ洗濯物を私が取り込むそばから妻が畳み、積まれた衣類を私がしまってと、見事なコンビネーションで片付けた時などは、それだけで結婚した意味があった気がしたものである。

 そうは言っても恥ずかしさがなかったわけではない。まだ学校が週休2日制でなかった頃で、土曜日は私が洗濯物を干していたのだが、妻の下着を広げて洗濯バサミで留めるのは、正直照れ臭さかった。