和田合戦の戦死者を葬った所と伝えられている和田塚(鎌倉市由比ヶ浜)

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、どこか天然で不器用なところに惹かれる「愛されキャラ」としてひと際、注目を浴びているのが、ベテラン御家人の和田義盛である。権力欲に取りつかれてしまった北条義時と、どう対峙するのか。和田合戦に注目が集まるが、「二人には意外な共通点がある」と偉人研究家の真山知幸氏はいう。やや経緯がわかりづらい和田合戦について、和田義盛や北条義時の素顔とともに、真山氏が解説する。(JBpress編集部)

(真山 知幸:偉人研究家)

身内の不祥事で運命が一変した和田義盛

 かけがえのない家族は心の支えになり、日々懸命に生きる原動力となる。

 だが、大切な誰かがいることは「強み」となると同時に「弱み」になることもある。周囲が権力争いに明け暮れて、粛正が吹き荒れる時代においては特にそうだ。

 古くから鎌倉幕府を支えた和田義盛は、みなに慕われるベテランの有力御家人である。まさか自分が、鎌倉幕府初期における最大の内乱「和田合戦」を引き起こすなど、想像すらしなかっただろう。

 悲劇的な内乱が起きたのは、和田義盛の家族による不始末がきっかけである。一体、何をしでかしたのか。

 建暦3(1213)年、信濃源氏の泉親衡なる人物がクーデターを目論んだ。政権を転覆させるべく、将軍の源実朝や、実権を掌握する北条義時を討ち取ろうとしたのである。

 しかし、事前に計画が露見してしまい、泉親衡は捕縛。すると、衝撃的な事実が明るみになる。なんと和田義盛の子である和田義直や和田義重、そして甥の和田胤長が関与していたというのだ。

 和田義盛からすれば、青天の霹靂であり、さぞ頭を抱えたことだろう。鎌倉幕府を長年支えてきたのに、身内が幕府を打ち倒す計画に加担していたのだ。和田義盛は、将軍の実朝に直訴して、なんとか息子たちや甥を許してもらおうとする。