新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。
日航が更生計画案を提出したときの稲盛和夫氏(左は当時の大西賢社長、写真:AP/アフロ)

(文:大西康之)

「偉大な創業者」に率いられたベンチャー企業は、創業者なしには動かない組織になりがちだ。日本電産、ファーストリテイリング、ソフトバンクなど後継者選びで迷走を続ける「かつてのベンチャー」も少なくない中、稲盛和夫氏は現場の当事者意識を強く喚起すると同時に、そこで解き放たれる人間の危うい本性をも見つめていた。

 京セラ、第二電電(現KDDI)の創業者で、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫が8月24日、亡くなった。90歳だった。筆者は2012年から13年にかけて『稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』を書くため、当時JALの会長だった稲盛氏に密着した。稲盛氏に経営観のみならず人生観まで変えられたJALの経営陣にも数多くインタビューした。見えてきたのは人間への深い洞察に基づいた独特の経営哲学だった。

 半年以上続いた取材の中で一番印象に残っているのは、袖捲りしたワイシャツ姿で赤いボールペンを握りしめ、細かい数字がびっしり書き込まれたエクセルの数表を読み込んでいる後ろ姿だ。稲盛氏は背中から湯気が立ち上らんばかりの集中ぶりで舐めるように数字を読んでいた。恐ろしくてとても声などかけられなかった。

仕事が「自分事」になり生き返ったJAL

 稲盛の経営を「宗教がかった」と形容する人がいる。だがあんなに細かく数字を読む教祖はいまい。むしろ稲盛経営の真骨頂は細かいデータの集積に基づく迅速で正しい判断にあった。インタビューの中でこう語っている。

「鹿児島大学の工学部を出て、松風工業という小さな碍子メーカーに就職しました。一心不乱でセラミックの開発をしましたが、経営が傾いて開発にストップがかかった。それで上司と衝突し、27歳の時に数人の仲間と独立しました」

「一介の技術屋でしたから、経営のことはよく分からない。会計士の話も専門用語が多くて理解できない。専門家は『売り上げが増えれば経費も増えるのが当たり前』と言いますが、素人の私は『売上高を最大に、経費を最小にするのが理想』と考えました」

 これがアメーバ経営の原点である。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
「東アジアの高齢化」に日本の「勝ち筋」技術を生かせ
英トラス新政権の船出――ジョンソンなきジョンソン路線か
米司法省、大手出版2社の合併は「作家の収入減を招く」と主張