満洲国の仮宮殿。現在は吉林省博物館になっている。1990年10月撮影(資料写真、写真:近現代PL/アフロ)

 岸富美子氏(1920~2019年)は満映(満洲映画協会)で映画編集者として働いていた。満映は、旧満州国に設立された国策の映画会社である。

 1945(昭和20)年8月8日、突然、ソ連が日本に宣戦布告し、翌日には満洲に雪崩れ込んできた。ソ連軍を迎え撃つはずの関東軍は民間人を捨てて逃げ出した。岸氏一家は、ソ連軍の侵攻から逃れるべく、満映の撮影所があった新京(長春)から奉天に疎開する。なんとか無事にたどり着いた奉天だが、安全な疎開先ではなかった。日本が敗戦したことにより、日本人住宅街が次々と暴徒に襲われていたのだ。このまま奉天に残るか、それとも新京に戻るか。岸氏の母親は「とにかく新京に帰ろう」と決断。岸氏一家は汽車に乗って新京に舞い戻ることになった。

 以下は、終戦直後の満洲でソ連兵の恐怖に怯える日々を過ごした岸氏の回想である。(JBpress)

◎本稿は『満映秘史 栄華、崩壊、中国映画草創』(石井妙子・岸富美子著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

満州に侵攻したソ連軍(1945年8月、写真:近現代PL/アフロ)

窓の隙間から服を引っ張られた

 列車は、奉天から新京を目指して、ひたすら北上を続けた。その間、途中の駅に停まると、そこには必ずソ連兵の姿があった。女性は絶対に駅で降りないように、窓は決して1センチ以上開けないようにと厳しく注意され、8月の列車内は蒸し風呂のようだった。