(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

朝廷にとっての鎌倉幕府はない方がいい?

 実朝が鎌倉殿を継いだ1203年(建仁3)。

 朝廷は、鎌倉からの(実態は北条時政一派からの)要請を受けいれ、ただちに実朝を鎌倉殿と認め、征夷大将軍に任じました。朝廷が鎌倉殿と認めるというのは、全国の守護・地頭を任免し、指揮する立場を公認したということでもあります。

 ただ、考えてみれば朝廷側にとって、鎌倉幕府は決して好ましい存在ではないはずです。都の貴族たちの財政基盤は、全国の荘園・公領から吸い上げられてくる年貢や税です。ところが、鎌倉幕府ができたことによって、これら財源のかなりの分は横取りされてしまいました。平家一門や関係者など〝謀反人〟を頼朝が討伐して、所領・利権を没収していったからです。

 また、全国の荘園・公領に地頭が、国ごとに守護が設置されたことによって、武士たちによる中抜き分も増えました。朝廷や貴族の立場からいったら、本当は鎌倉幕府なんかない方がよいのです。権力闘争やらクーデターやらで勝手に潰れてくれたら、どんなにありがたいことでしょう。

 それなら、意地悪をしてなかなか任官を認めない、という政治手法だってあっただろう、と思いたくなります。にもかかわらず、朝廷は速攻で承認を与えました。なぜでしょう?

 理由の一つは、前例ができていたことです。朝廷や貴族に限らず、この時代の人たちの価値観は総じて前例を重視します。前例のあること=正当性の根拠、という考え方が強いのです。ゆえに、頼朝・頼家と2代にわたって「鎌倉殿=征夷大将軍」が継承されてきた以上、3代目には同じ立場を認めざるをえません。

源実朝像

 もう一つは、「収入確保」という、ひどく現実的な理由です。幕府は、守護や地頭に対する指揮権・任免権をもっています。ゆえに、あからさまな不法行為によって年貢や税収を横領するような武士たちは、取り締まってくれます。実際、貴族や寺社からの訴えによって、御家人が地頭を罷免されたり処罰されたりした例は、枚挙に暇がありません。

 それに、幕府なんかない方がよいといっても、いきなり倒れられては困るのです。これは、現在の国際情勢になぞらえるとわかります。たとえば、北朝鮮は日本やアメリカにとって厄介な存在ですし、韓国にしてみれば半島統一は悲願です。でも、金王朝がいきなり倒れることは、日本も韓国もアメリカも望んでいません。

 朝廷から鎌倉幕府を見た場合、権力がいきなり迷走すると、武力が暴発してコントロール不能になるかもしれません。何より、幕府が崩壊すると、全国的な内乱状態となって、地方からの年貢や税が都に届かなくなる怖れがあります。これは、貴族たちにとっては死活問題ですが、実際に彼らは治承・寿永の内乱(源平合戦)のときに、そうした事態を経験しているのです。

「源平合戦図屏風」

 だとしたら、幕府は少しずつ弱ってゆくことが望ましい。そうして、倒れるのであれば、できるだけ朝廷主導で倒したい。それが、朝廷・貴族側の本音だったのでしょう。実際の幕府の様子を観察しながら、この「衰弱&トドメ」戦略を進めようとしたのが後鳥羽上皇といえるでしょう。

 次回以降の『鎌倉殿の13人』も、以上のような幕府と朝廷との力関係を頭に入れながら見ると、いっそう楽しめるはずです。

 

※鎌倉幕府の成立について、もう少し詳しい知りたい方は、拙著『鎌倉草創-東国武士たちの革命戦争』(ワンパブリッシング 1600円)をどうぞ! Kindle版も好評です。