鎌倉の妙本寺にある比企一族墓所。比企一族はここで北条方に急襲され滅亡した 撮影/西股 総生(以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

大規模な武力衝突が起きにくかった鎌倉

『鎌倉殿の13人』を観ていると、鎌倉幕府の成立過程は暗闘と策略・謀殺の連続だったことがわかります。「こんなに血なまぐさいゴタゴタばかりで、よく組織が崩壊しなかったものだ」と、不思議に思った方はいませんか?

 でも、本当は逆。暗闘・策略・謀殺の連続だったからこそ鎌倉幕府は存続しえた、と言ってよいのです。どういうことでしょう?

 まず、幕府が崩壊しなかった理由として、暗闘の割には、鎌倉で大規模な武力衝突が起きにくかったことが挙げられます。実は、さきざきには和田合戦のような大規模な市街戦も起きるのですが、あまり多くはありません。御家人たちの抗争は、策略・謀殺が主流だったのです。

 前回説明したように、武家の都・鎌倉は、そもそも挙兵がしにくい環境にありました。有力御家人といえども、鎌倉の屋敷にふだんから多くの兵を置いているわけではないからです。梶原景時も鎌倉から追い出され、一族郎党を率いて京に向かう途中で討たれました。

神奈川県の寒川町にある梶原景時屋敷伝承地 撮影/西股 総生

 鎌倉で挙兵しようと思ったら、まず地元や地方の所領に使いをやって、人数を集めるところから始めなくてはなりません。「殺るか、殺られるか」という抜き差しならない状況になったとき、そんなことをやっていたら、後手を踏んでしまいます。それどころか、鎌倉殿の命もないのに勝手に兵を呼び寄せたりしたら、逆に謀反人として討伐されてしまいます。

 兵を集めにくい代わりに、御家人たちは多数派工作に身をやつすことになりました。各自が鎌倉に常駐させている兵は少なくても、皆で連合すれば、相手を圧倒できます。今回ドラマで描かれた比企の乱も、まさに多数派工作の勝利でした。

 そして、多数派工作は政治の基本。ここが大切なところです。

 鎌倉幕府を打ち立てた武士たちは、もともとは田舎者です。彼らは、それぞれ地方に所領を営んで、近隣の武士たちと勢力争いを繰りひろげたり、ときには一族の間で所領の奪い合いもしていました。

 でも、彼らは政治的に組織された経験がありません。そんな田舎者たちが、いきなり政権の幹部に成り上がったのです。坂東彌十郎さん演じる北条時政が、この感じを非常にうまく出しています。

 彼らは、経験したことのない「政治」を、手探りで一つずつ身につけなければなりませんでした。どっちが馬で速く突撃できるか、誰の矢がいちばん遠くまで飛ぶか、みたいなことを競い合っていた人たちが、政治的に相手を出し抜いたり、陥れたり、こっそり多数派工作したり、といった行動を学んでいったのです。この感じは、横田栄司さん演じる和田義盛と、中川大志さんの畠山重忠のコントラストが、見事に表現しています。

鎌倉の妙本寺にある一幡の供養塔。石塔は後世のものだが献花が絶えない

 たしかに、一つ一つの事件は、「やられたり、やり返す」「殺るか、殺られるか」という、武士らしい原理で進んでゆきます。でも、そうして起きる暗闘・策略・謀殺をくぐり抜けながら、御家人たちは政治的なたくましさを身につけ、権力の使い方を学んでゆきました。つまり、鎌倉幕府は組織として鍛えられていったのです。

 

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