実朝が鎌倉殿を継いだ1203年(建仁3)。 朝廷は、鎌倉からの(実態は北条時政一派からの)要請を受けいれ、ただちに実朝を鎌倉殿と認め、征夷大将軍に任じました。朝廷が鎌倉殿と認めるというのは、全国の守護・地頭を任免し、指揮する立場を公認したということでもあります。 ただ、考えてみれば朝廷側にとって、鎌倉幕府は決して好ましい存在ではないはずです。都の貴族たちの財政基盤は、全国の荘園・公領から吸い上げられてくる年貢や税です。ところが、鎌倉幕府ができたことによって、これら財源のかなりの分は横取りされてしまいました。平家一門や関係者など〝謀反人〟を頼朝が討伐して、所領・利権を没収していったからです。 ま