核弾頭の搭載が可能な中国軍の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風41」(資料写真、2019年10月1日、写真:AP/アフロ)

(北村 淳:軍事社会学者)

 米軍による広島・長崎への原爆攻撃から77年が経った。今年(2022年)の原爆戦没者慰霊式典でも「非核三原則を遵守する決意」と「核兵器のない世界の実現」が繰り返し表明された。

 ロシア・ウクライナ戦争が勃発するや、先日急逝した安倍晋三元首相が核共有のアイデアを表明したため、日本においても核議論が本格化するやに見受けられたが、相変わらず「非核三原則の遵守」と「核兵器のない世界」という具体策を伴わない標語が繰り返されただけで、再び核議論は低調となってしまったようだ。

 核議論と言うからにはいくつかの選択肢が示されねばならない。例えば、核共有や独自核武装といった選択肢も存在するし、これまでのように有耶無耶(うやむや)な現状維持の状態を続けていくことも選択肢の一つといえなくもない。

現状維持への疑問、「核の傘」は有効なのか?

 そもそも「非核三原則を遵守する」と言う一方で中国、ロシア、北朝鮮といった近隣の核弾道ミサイル保有国による核脅威を言い立て、「日本の国防の根幹は日米同盟にある」と公言してはばからないのは、アメリカの「核の傘」によって保護されるというレトリックを信じて(あるいは、信じるふりをして)日本自身の核戦略に関する議論からは逃避し続けることにほかならない。