新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。
ミャンマーから国境を越えタイに避難する人々(写真:ロイター/アフロ)

(文:泰 梨沙子)

昨年2月に軍事クーデターが起きたミャンマーでは、国軍への抗議活動を支援するミャンマー人が帰国すれば拘束され、命の危険に晒されかねない状況が続いている。日本から帰国できない人には在留期間延長と就労が認められているものの、「国へ帰れ」という心無い言葉も向けられる。

「故郷の村では既に友人が10人以上殺されました。森に逃げた母親や兄弟とも連絡がとれていません。帰りたくても、帰れないのです」

 そう話すのは、現在東京で暮らすミャンマー人のジョンさん(24)だ。ジョンさんは2019年9月、茨城県にある建設会社の技能実習生として来日した。母国で日本語を学び、未来への夢と希望を抱えて日本を訪れたジョンさんだったが、そうした期待は様々な困難によって打ち砕かれた。

ミャンマー東部カヤ州からやってきたジョンさん 写真提供:筆者

 まず日本で直面したのは、実習先の工事現場で常習的に行われていたパワハラや暴力だった。ジョンさんによると、日本人の上司は日本語をうまく話せないことや、業務が思うように遂行されないことを理由に、ジョンさんら実習生の頭を殴ったり、ひどいときには棒で叩いたりするようになった。

 家族への仕送りなど経済的な理由もあり、暴力を受けても我慢を続けていたジョンさんだったが、さらに追い打ちをかける出来事が起こる。毎晩のように電話で相談し、ジョンさんを慰めてくれていたミャンマーに住む父親が亡くなってしまったのだ。父親は故郷の学校で校長先生をしていたが、国軍への抗議活動に参加したことで指名手配され、ジャングルで避難生活を送っていた。劣悪な環境で難病にかかり、まともな治療を受けられないまま症状が悪化。51歳という若さでこの世を去った。

「父親という大きな心のよりどころがなくなって、パワハラにも耐えられなくなってしまいました」

 ジョンさんはその後、茨城県にあった実習先の寮から東京に住む知人のもとへ逃亡。現在は、日本がミャンマー人を対象に実施している緊急避難措置として、1年の就労が認められる特定活動ビザを取得し、都内の飲食店で働いている。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
消えゆくナイジェリアの森林 木よりも多い木こり
【Exclusive】インドで広がる「人民元建て」対ロシア貿易
与野党より「岸田・安倍」の火花が散る参院選