写真:ロイター/アフロ

 昨夏、ヴィッセル神戸からスコットランド・リーグの名門セルティックに移籍した古橋亨梧は、けがで途中離脱しながらもリーグ戦21試合でリーグ3位の12ゴールを記録し、2季振りの優勝に貢献する。公式戦を通算すると20得点。センセーショナルなデビューイヤーを過ごした。

6日の日本代表対ブラジルでは1トップで先発。世界1位のチームに封じ込められたが、それでも期待せずにはいられないルーツがこの男にはある。

学生時代まで「無名」だった。大学4年12月に練習生として入団したJ2のFC岐阜でプロキャリアをスタートさせると、以降、J2、J1、欧州リーグへと急速にステップアップを遂げていく。

「無名のFW」から「日本屈指のFW」へ――その期間、わずか5年。

学生時代、「ずっと迷いながらプレーしていて、自分に自信を持てなかった」という遅咲きのストライカーはなぜ、プロの世界で一気にゴールを量産し続けることができるようになったのか。

本稿は、古橋亨梧×岩政大樹対談動画「自信がなかった僕が、点を取れるようになった理由」より編集しています。→https://www.synchronous.jp/articles/-/317

岐阜、V神戸「ずっと自信がなかった」

――自分(岩政氏)も大卒でもあるし、すごく興味深いキャリアでストライカーになられたな、と。とくに小柄であっても、点を取り続けられる選手が出てくると、日本サッカーにとってもヒントになるなって思っているので、そのあたりも聞かせてください。

古橋 はい。

――とはいえ、遅咲きになりますよね(23歳でJ1デビュー、26歳で欧州移籍)。その要因は自分でどのように感じているんですか? そしてそれをどう思っています?か 

古橋 うーん……。

――スピードも非常にあるし、テクニックもあってシュートもうまいしってなったら、若い年代でも(すでに陽の目を浴びることができたのではないか)。古橋選手のようなタイプの選手がなぜ(表に)出てこなかったのか、逆に非常に興味があります。

古橋 単純に自分がヘタクソで、周りにうまい選手が多くて、つねに怒られてきたので。自分に自信がなかったというか。

それでも負けず嫌いなんで、頑張ってはいたんですけど。ずっと自信がなかったですね。

――サッカー選手として吹っ切れないものとかがあったんですか、自分の中で。

古橋 学生のときから試合にはずっと使ってもらっていたんですけど、うまい選手がたくさんいるなかで、使ってもらっていることに対して「うれしい気持ち」と、「なんで僕なんだろう?」という気持ちがありました。

でも、選んでもらっているからには頑張らないといけない。頑張ってはいたんですけど……結果がついてこなかったこともあります。

特に学生のときは、周りの選手がうまいから、そこについていくのに必死で自分らしいプレーみたいなことは考えられなかった。そういう意識が僕の中では強いです。

――スピードは、当時から速くはあったんですよね?

古橋 それは、はい。昔からずっと速かったですね。

――それが武器として使えるっていう感覚はあったわけですよね?

古橋 はい。それはありましたね。