ウクライナの各地域に送られる支援物資を仕分けるリビウのボランティア。北朝鮮の観戦団は国際社会の支援状況を観察している(写真:ロイター/アフロ)

 ロシア・ウクライナ戦争で、中立的な立場を守ってきた北朝鮮が、ロシア支持に回ったのは、戦争が始まって4日後の2月28日だった。その日の午前10時頃、在外北朝鮮大使館に送信された緊急電文の第二報には、「ロシア・ウクライナ戦争に関する北朝鮮政府の立場を、中立から、ロシア指示の立場に変更する」と書かれていた。

 そして、米東部時間の3月2日、ニューヨークの国連本部で始まった、ロシアに対する即時かつ無条件の軍撤回を求める緊急特別部会で、北朝鮮は反対票を投じた。米国と対立する中国でさえ棄権票を入れた状況で、北朝鮮は反対票を投じたのだ。反対したのは、ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリアの5カ国だけだ。

 中立的な立場を取っていた北朝鮮政府は、なぜロシア支持に回ったのだろうか。ロシアの北朝鮮大使館に多くの知己を持つ郭文完氏の寄稿の2回目。

◎1回目「対内文書が明らかにした、ロシア・ウクライナ戦争で金正恩が中露に感じた恐怖」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69767)から読む

(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 北朝鮮の消息筋によれば、北朝鮮政府は当初、ロシア・ウクライナ戦争がロシアの一方的な勝利で、1週間以内に終わると予想していた。ところが、決死抗戦のウクライナが頑強に抵抗。国際社会の全面的な支持の中で逆転に逆転を重ねたことで、思わぬ苦戦を強いられる結果となった。

 ロシアの苦戦と同時に、北朝鮮に対して、ロシア政府への支持を求める圧力も強まった。2月27日、ロシア外務省は在モスクワ北朝鮮大使館の申紅哲(シン・ホンチョル)大使を呼び、ロシア・ウクライナ戦争に対する北朝鮮政府の公式かつ明確なロシア支持の立場を要求した。

 また、在平壌ロシア大使館のアレクサンドル・マツェゴラ大使も、北朝鮮外務省関係者を通じて、同様の要求を北朝鮮政府に伝えた。ウクライナに対する国際社会の支持が増大する中、それを負担に感じたロシア政府が、北朝鮮などならずもの国家の支持を必要としたのだ。

 この要求に対して、北朝鮮指導部も相当な負担を感じたと、北朝鮮の消息筋は語る。友好国である中国でさえ、ロシアに対するオフィシャルな支持を表明していない状況で、北朝鮮がロシアを支持することは、ウクライナと国際社会を敵に回すことになるからだ。

 だが、最終的に熟慮した北朝鮮は、ロシアに対する中立的な立場を撤回。公式に支持を宣言した。北朝鮮とロシアはともに「反米」で共同戦線を張っており、ロシアの戦略的な価値を共有するためだったという。

 北朝鮮は核問題で米国と対立しており、外交政策の核心は反米である。ウクライナ侵攻も結局は米国とロシアの対決と見ている北朝鮮にとって、ロシア支持は避けられない選択だったものとみられる。

 そして、北朝鮮は2月28日に、北朝鮮外務省の立場を変更した旨を、在外北朝鮮大使館に緊急電文で送ったのだ。

 それゆえに、北朝鮮政府は3月2日、ニューヨーク国連本部で実施されたロシア軍撤収を要求する決議案に反対票を投じたし、北朝鮮とロシアの間で結んだ「経済的および文化的協力に関する協定締結」の73周年を迎える3月17日にも、ロシアに対する支持の立場を明らかにしたのだ。