――そもそも、なぜこの映画は生まれたのですか?

真野 2013年に友人のイケダがスキルス性胃がん、しかもステージ4になってしまって、やり残したことがないようにいろいろやりたいと言い出した。しかも、今までやったことがないことをしたいということから始まったんです。その中でイケダが、エッチなことをいっぱいしたいと。

 でも神奈川県で公務員として働きながら、イケダは20代のころから、夜のお店系はひと通り体験しています。キャバクラも大好きだし、風俗も行っていました。ただノーマルなものしか行っていなくて、だからもう少し知らない世界があるんじゃないか、冒険を死ぬまでにしたいと。それでハプニングバーに行ったりとか、そういうことをやり始めたんです。

© 2021 愛について語る時にイケダが語ること

「善なるもの」とされる障害者が持つ“闇”を世間に晒したいという衝動

――そこからどうして映画という話に?

真野 自分の性行為をカメラに撮る、自分で撮るということをやってみたいと言い出した。アダルトビデオが大好きだったので、あれを自分もやりたいと。そして自分を映画などの形で残したいと。イケダは自分の障害のこともすごく自覚していて、しかも死ぬかもしれないし、それなら自分の性行為のハメ撮りがあれば、自分の映像を残せる映画になるんじゃないかって思ったようです。

 死ぬかも、となった時にセックスに向かうというのはわかる人はわかるんじゃないかなと思うんですが、それを自分で撮ったり、映画にして出すというのはちょっと特殊なので、世に対して何かを表現したいという強い欲求が出たのだと思う。

真野勝成氏(筆者撮影)

――何を表現したかったのだと思いますか?

真野 イケダは障害者である自分を「善なるもの」として押し込めようとする何かに対して、自分のもっている闇の部分を見せつけたいという衝動が人生の最後に爆発したのだと思います。

――障害者とセックス、そして末期がんという話が交錯して、作品としてどう受け取るべきなのか考えさせられた。

真野 障害とセックス、そして死。正直、きついですよね。その情報だけで映画を見るとびっくりしますが、逆に感動してくれる人もいます。でも、イケダと僕の性格というか、コンセンサスで絶対お涙頂戴のような、いわゆる感動ポルノにはしないと決めていました。嘘は撮ってないですし、意図的に演技を撮ったということもないですね。

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