文=鈴木文彦 撮影=編集部
1979年放映の『機動戦士ガンダム』とほぼ同じ年に生まれ、以降、日本のアニメ・マンガ・特撮とともに青春を過ごしたいちアニメファンである鈴木文彦さんが、国立新美術館にて2021年10月1日(金)から12月19日(日)まで開催される『庵野秀明展』を鑑賞。その様子をレポートします。
「エヴァンゲリオン」という社会現象
『新世紀エヴァンゲリオン』は、1995年10月4日から1996年3月27日にかけてテレビ東京系列で放送された。水曜日の18時半から19時だった。今回は全体的に個人的な話が多くて恐縮だけれど、筆者はこれをリアルタイムで見ていたアニメファンの大学生だった。
いまではよく語られるように、エヴァンゲリオン人気に火がついたのは、再放送以降だとされている。
インターネットもないような時代だったから、あまり確かなことはいえないけれど、放送当時、アニメファンはこの作品が程なくして社会現象と呼ばれるほどのヒット作になるとは、予想できなかったとおもう。
たしかにエヴァンゲリオンはすごい作品ではあった。けれど、こんな通好みなアニメが、いまさら社会なるものを巻きこむことなどない、あるいは、この文化が、日の当たるところには出ることはないと受け止めていたはずだ。晴海に行った記憶があるから、この冬のコミケだったとおもうけれど、エヴァ本は大量に出ていた。そこには設定を考察するような本もあったけれど、ヒロインたちをメインにしたエロマンガもかなり多かった。エヴァンゲリオンの製作者たちが生み出すヒロインたちは常にエポックメイキングで、タカヤノリコやナディアはアニメファンにはトップクラスの人気を誇っていたから、それはとても自然なことだった。
そんな時代を体験していると、庵野秀明展が国立新美術館で開催されるというのだけで、不安すら覚えるのだけれど、ここに来るのは、せいぜい、筆者と同年代か、あるいは、庵野氏と同年代のファンだろうと筆者は考えていた。そういう層にとって、ここに2、3度来るというのは、最近ちょっと払い忘れていた大した額でもない税金を払いに行くようなものだし、酷暑の、あるいは極寒の晴海に、始発で行った当時と比べたら、ぬるま湯同然だ。
ところが、週末ということもあってなのか、マジョリティーは20代とおぼしき面々で、デートで来ている風の組も結構な数いるものだから、驚愕を禁じ得なかった。時代は変わった。もう、庵野秀明を支えるファンは、筆者の頃とは全く違うのだ。
リメイク文化の本丸
ただ、展覧会に入ってみると、庵野秀明はやっぱり、庵野秀明だと安心した。
エヴァンゲリオンの放送の前後数年にアニメファン業界ではリメイクという言葉が盛んに使われていた。たとえば『宇宙の騎士テッカマンブレード』という、エヴァンゲリオンの少し前、1992年の曜日は違えど同じ時間帯に放送されていたアニメは、ハードでシリアスなSF作品なのだけれど、1975年の『宇宙の騎士テッカマン』の名前を受け継いでいる。
両作品の内容は全然ちがうので、普通にみるとなぜこの2作品が同じテッカマンを名乗るのか疑問を抱くはずだ。第一話放送前に、1975年版を紹介する特番を放送していた。そこでも、この2つのテッカマンの関係性は説明されていなかった。とはいえ、これは『ブレード』の話がある程度は進行したか、終了した頃に、親切にも製作者がアニメ雑誌で、タネ明かしをしてくれていた記憶がある。