取材・文=鈴木文彦
エルメスのスカーフになったこともあるLa Longue Marche(ロング・ウォーク)を描いた現代作家ジュリオ・ル・パルクの、日本初の個展が銀座メゾンエルメス フォーラム 8・9階にて開催されている。自身が選んだ14色の探究の過程や代表作、そこにたどりつく前のモノクロ作品から、建物のファサードやエレベーターにも巨大な作品に見出される、彼のアートの真髄とは。
作品は「実験」
まだアカデミズムが芸術の世界で作品の出来不出来の判定において価値があった19世紀、完成と未完成は区別されていた。画家であれば、何枚もの下描きをして、完成した絵画を仕上げるのがあたりまえの仕事だった。
ところが、速報性が求められるニュースや、商品宣伝のための広報用の画像や版画、そしてなにより写真が登場すると、長い時間をかけ、下描きを何枚も描いて作品を完成へと導くかどうかは、選択の問題となった。そして、技術や過程、それが置かれる場所が、芸術と芸術以外を分けることもなくなった。それは芸術の民主化といえるかもしれない。
ジュリオ・ル・パルクは作品は完成させない。本人はジャンル分けは嫌いだ、というけれど、便宜上、彼を分類するなら、見るものの視覚に動きを感じさせる芸術作品、キネティックアートと錯覚を利用した芸術作品 オプアートのアーティストたちのグループ、GRAV(Groupe de Recherche d'Art Visuel=視覚芸術研究グループ)の創設メンバーとなる。
92歳になったいまも、その作風の基本は変わっていない。
1959年にたどりついたスタイルは、自身が選んだ14色の組み合わせによる表現。それらの色を組み合わせた作品は、なにか一つの固定された状態をもって完成ではなく、複数であったり、揺れ動いたりする。
本人はそれを実験、という。
銀座メゾンエルメス フォーラム 8・9階で開催中の「ル・パルクの色 遊びと企て」ジュリオ・ル・パルク展は、日本では初めてのジュリオ・ル・パルクの個展にして、一種、回古典的でもあり、彼が14色による表現にたどりつく前のモノクロ作品、14色の探求の過程、代表作として知られ、エルメスのスカーフになったこともあるLa Longue Marche(ロング・ウォーク)、Lames réfléchissantes(反射ブレード)、 そして新作が一堂に会する。
一堂どころか、建物のファサード、
ル・パルクの実験の意図は、それを見るものを芸術に参加させよう、というもの。作品がそれ単体で完成していないのは、それを体験する人が、受動的に見るだけでなく、能動的に参加することを求めているからだ。
アートは誰のものなのか
1958年以来、フランスを拠点に活動しているル・パルクは、アルゼンチンの貧しい家の生まれだ。子供の頃、家の前に壁があり、壁を挟んで自分たちの住むこちら側は鉄道の建設に従事する貧しい人たちの世界、壁の向こう側は鉄道を所有する裕福なイギリス人のコミュニティだったという。
芸術家としての活動をはじめて、彼は芸術が果たす役割を考えた。「批評家やギャラリー、アート界隈の人々の作品購入によってなされる評価。アートの価値付けは、一握りの人々、つまり富裕層によってなされるのです」
たまに壁の向こうから飛んでくる黄色いテニスボールを、古着を丸めたボールで遊んでいたジュリオ少年は、決して投げ返すことはなかったという。それから92歳になるまで、ジュリオ・ル・パルクはボールを壁の向こうに投げ返さない。
アートは誰のものなのか。ジュリオ・ル・パルクは私たちのものだ、と答えるだろう。そして、君も一緒に、と呼びかける。
アートは多分、実際は、ほとんどがそういうものなのだ。限られた誰かのものではなく、この展覧会同様、誰でも参加できる。そしてその、アートに参加した経験が、今まで見ていた世界をちょっとだけ変えてくれる。見るたびに姿を変える、チャーミングな色と形にあふれるこの展覧会は、たとえば子供の最初のアートの経験のチャンスとしても、向いているはずだ。