作中で明確に関係性を説明する場合もあれば、単に物語の構造や要素を引用しただけの場合もあったけれど、60年から80年代のアニメをベースに、それを90年代の作法で表現する、というのはこの時期のアニメの一種の流行のスタイルで、これを大雑把に「リメイク」と当時のファンたちは呼んでいた。そして、リメイクの原典を体験していない当時のアニメファンたちは、先のテッカマンの例のように、テレビで、あるいはアニメ雑誌で、断片的に語られる原典の情報を手がかりに、レンタルビデオ店にもないような、というかそもそもビデオ化なんてされていない原典までも、どうにかこうにか部分的にでも見つけて、学んでいた。

 そんなリメイク文化の本丸が、あろうことか民放のTVアニメにやってきて、毎週、見れるというのだから、エヴァンゲリオンは最初からちょっとした事件だった。当時のアニメファンならば、勉強熱心であればダイコンフィルム時代から、そうでなくとも1988年のビデオアニメ『トップをねらえ!』あたりから、この集団がつくるアニメーションを知っていたとおもう。それが、過去のアニメ、特撮、マンガの要素を過密といえるほど濃厚に盛り込み、複雑に組み合せたものであることを。そして、絡んだ糸を、あるいは多階層のコラージュを、解きほぐしながら作品を解釈する、というのが、ここのアニメを見るときの作法だということを。

『トップをねらえ!』最終話の絵コンテ

 この集団は、自分たちが作品に持ち込んだイメージソースを基本的に自らは解説しないアニメ界のエリート集団、あるいは高踏派だ。インターネットのない時代に、『実相寺アングル』とか『零士メーター』とか『金田パース』とか『板野サーカス』とかいった余人には呪文のように謎めいた、アニメの特定の表現方法を指す単語がアニメファンの共通語になっていたのは、この作法に従い、難解にして贅沢な彼らの作品を解きほぐそうとした人々の努力を物語っていた。

 この時代を体験した筆者からすれば、庵野秀明展で、だいぶ、お行儀がいい形に編集されているとはいえ、DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』が、ダイコンフィルムのオープニングムービーが、大画面、高画質で体験できること、またその制作に関連する資料が見れるだけでも、感動を禁じえない。

DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』設定

 ただ、「第一章 原典、或いは呪縛」と分類される展覧会の最初のパートでは、60年代、70年代の特撮、マンガ、アニメの断片が、「第二章 夢中、或いは我儘」というパートでは、庵野秀明の関わった初期作品から、『新世紀エヴァンゲリオン』までの設定資料や絵コンテ、番宣ポスターなどが並ぶだけで、結局それらのどこにどういうつながりがあるのか、どこが見どころで、どこに高度な技術があるのか、何が何のオマージュで、どこが新しいのかは説明されていない。

『風の谷のナウシカ』巨神兵の場面

  わかるやつだけわかればいい、という姿勢は、相変わらず高踏派的で、おもわず、変わってないな、と笑ってしまう。当時は、本気でいけすかないと気に触ったものだけれど、いま振り返ると、この高踏派に付き合ってきた過去も懐かしく、愛おしい。そして、もしも筆者が、これらをいちいち誰かに解説したとしても、それは面倒かつあまり意味がないとおもってしまうのと同じように、庵野秀明自身にとっても、それは説明しようがないのではないか、とも、いまとなってはおもえる。