(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 柳家小三治(10代目)が亡くなってからもう一か月近くになる。亡くなったのは10月7日。81歳だった。生前、ニュースかなにかで時折見かけた姿は、一気に老け込んでいたようで大丈夫かなと思わせられた。しかし本人はいたって元気で、死の5日前にも高座に上がっていたという。来年の公演予定も入れていたようである。

 YouTubeにアップされている「うどん屋」で、「わたしもこの先、いつまでみなさんのご尊顔を拝謁できるかどうかそれはわかりませんが、えーーー、でもわたしの方じゃなくて、そちらが先ってこともあります(爆笑)」というようなことをいってたが、ご自身にとっても不慮の事態だったかもしれない。死は時として容赦ない。落語界最後の大御所(かれみたいな存在が真の大御所である)がいなくなってしまった。

落語の本まで書いた中野翠

 中野翠が一時期落語の魅力についてしきりに書いていた。わたしは中野と同年代だから、彼女が書いているように、昔は柳亭痴楽の「痴楽綴り方狂室」(「なんとか娘のいうことにゃ、さのいうことにゃ」)、三遊亭歌奴(のち圓歌。「山のアナ、アナ」)、林家三平(「どうもすいません」)、月の家圓鏡(のち8代目橘家圓蔵。「ヨイショっと」)などが人気を博していたのは覚えている。といってもウケていたのは、落語ではなくただの小ネタ(掴みの決まり文句)で、わたしにはちっともおもしろくなかった。

 わたしにとっての落語(家)はその程度のことでしかなかった。古典の演目ひとつ聞いたことがなかった(はずである)。しかし中野翠は、1985年に古今亭志ん朝の「文七元結」に「出会った」ことが決定的で、以後、自ら「落語中毒」というほど落語にのめりこむようになった。彼女は謙遜しているが、35年以上のキャリアがあるのである。

 中野は寝るときには落語を聴くのが習慣となり、目配りも古今亭志ん朝を中心に、三遊亭圓生、林家正蔵、桂文楽、古今亭志ん生といった前世代の名人たちを網羅するという正統的な聴き方をした。「落語こそ最終娯楽」「落語こそ日本文化最高最大の遺産」と断言するまでになり、『今夜も落語で眠りたい』(文春新書、2006)、『この世は落語』(ちくま文庫、2017)という本を書いたほどである。