通説が間違っている?

乃至氏に、現段階で説明できることがあれば教えてほしいと聞くと、「詳しくは『謙信と信長』の連載でやりますので——」と言葉を濁しながら、次のことを語ってくれた。
「通説では、信長の重臣である柴田勝家率いる大軍が越前から加賀へ北上しており、いっぽう能登を制圧したばかりの上杉軍も南下していた。これが加賀手取川でぶつかることになるのですが、その直前、勝家の指揮に入っていたはずの羽柴秀吉が、上杉軍との遭遇前に撤退した──と言われています。通説の根拠は、織田信長の一代記である『信長公記』という史料なんですが、よく読むと実はそうではないみたいなんですよね」
別の読み方があるのだろうか。乃至氏は続ける。
「実は16世紀末の別の史料を見ると、秀吉は撤退していないんです。違うことが書いてある。これをよく読むと『信長公記』と矛盾がない内容であるだけでなく、通説の読み方が間違えていることがわかるんです」
ありそうでなかった、謙信と信長の対比

乃至氏が注目する史料では、羽柴秀吉が織田軍の撤退を守るため、敵軍を単隊で押し支えたことになっているという。殿軍を務めたというのだ。
「その史料は本編で紹介しますが、どちらも作り話ではないはずなのに、矛盾が生じてしまっている。この謎を解くには信長の家臣団、謙信の個性、そして周囲の状況を掘り下げなければならないでしょう。手取川の実像を探るには、謙信と信長を対比的に見直していくしかない」
そこで、『謙信と信長』をタイトルとする連載を開始することにしたと言う。これまで『謙信と信玄』(井上鋭夫)や『信玄ト謙信』(春秋蕪城)という謙信と武田信玄と対比する古典的研究書はあったが、信長との組み合わせは意外にも前例がないそうだ。
「なのでタイトルを『謙信と信長』にしました。信長は魅力的な人物ですが、謙信をメインに見ていくとこれまでと違った人物像が浮かび上がるかもしれません。近年の研究成果を中心にオリジナルの視点を交えるので、既存の歴史観と大きく違った景色を披露できることでしょう」
乃至政彦の新連載『謙信と信長』は、10月1日より販売するコンテンツパッケージ「歴史ノ部屋」のメルマガ配信にて読むことができる。
「リアルタイムに書き進めている最中なので、『つまらない』『面白い』とか、『これは違うんじゃない?』『そこは詳しく知りたい』と思ったら率直にお聞かせいただきたいです。そうしたら、自分もご意見を参考に、根本から見直させて貰います」
次回は特別に『謙信と信長』の冒頭部分を公開する。
【乃至政彦】歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『謙信越山』(JBpress)『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。昨年10月より新シリーズ『謙信と信長』や、戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介するコンテンツ企画『歴史ノ部屋』を始めた。
【歴史の部屋】
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