この期に及んで中止を議論しても始まらない

 世論が政治を動かした事例は事欠かない。

 第2次安倍晋三政権の後半に異常なブレーキをかけたのは、週刊誌情報に扇動された世論とそれに引きずられた野党であった。

 逆に政治が世論を焚きつけたこともある。

 フランクリン・ルーズベルトによって仕組まれた真珠湾攻撃で米国民が立ち上がったのが好例である。

 どちらも冷静な中で国民多数の意志を積み上げた「輿論」ではなく、マスコミや政治家の巧みな宣伝などで一部の見解を極大化した「世論」であった点が共通している。

 2020オリンピック・パラリンピック(以下オリ・パラ、五輪などと表現)開催でも国民の多数が反対しているというが、どこまでも電話などによる無記名の〝世論″調査であって、輿論の反映ではない。

 筆者の自宅にも、時折調査にご協力くださいという電話がかかってくる。いくらでも無責任回答ができるし、どちらともいえない解答をしても、記名ではないので調査する側にとって都合いいように集計されうる。

 この期に及んでも開催か否かで、反対派が声を張り上げるスタイルの政治ショ―になっているように見える。

 五輪に政治をもちこんではならないのが鉄則だ。

 コロナの終息まではいかないが、感染増大をいかに防いで五輪を開催するかが延期されて以降の各種試行であった。

 こうして見出したのが、人数制限などであり、いまも議論になっているパブリック・ビュー(PV)の中止などではないか。

 五輪開催阻止を強調するために、敗戦した大東亜戦争を引っ張り出してきた人もいる。

 また、「賛成」を表明した人をあの手この手でやり込めようとするモグラ叩きの様相さえ見られる。