政治家がLGBTについて語る時はほとんどの場合が票集めと考えて間違いない

 5月20日、自民党は「LGBTなど性的少数者に対する理解増進に向けた法案」の審査を行い、議論紛糾の末、慎重な意見が大勢を占め、了承は見送られたとの報道がありました。

 議論の中では、例によって「LGBTは道徳的に認められない」「種の保存に背く」といった、ワンパターンの反対意見が相次いだらしい。

 特に「これは・・・」と思わされたのが、当該の自民党会合後に山谷えり子参院議員が記者の語ったとされる一連のセリフ群、引用してみましょう。

「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことがいろいろ起きている」(https://www.tokyo-np.co.jp/article/105302

 これはさすがに、すかさず「2004年以降、五輪などでホルモン値など一定の条件があるものの、ルールとして認められている/認識の誤りと無知をさらけ出すもの」(中京大学・来田享子氏)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/105806)と突っ込まれている。

 五輪のトイレは日本の国会議員が心配する話ではないでしょう。

 でもね、これでイイんです政治屋的には。無知上等。というのも、そういう意識の有権者にアピールできれば、次回選挙に有利である可能性が期待できる。

 下手に小賢しそうで、物知りに見えても、票は集まりません。

すべては選挙、票のため

 この山谷議員の発言で、さらに興味深いのが「社会運動化・政治運動化されると、いろんな副作用もあるんじゃないでしょうか」というもの。

 これ自民党の会合後のぶら下がりでの発言でしょう。

 LDP(自由民主党)がLGBTを議論することそのものが社会の(集票)動向を見据えた「政治運動」そのものでしょう。

 このボキャブラリーの中での「社会」「政治」はすべて野党的なものであることが前提になっている。

 自民党がLGBT法案を検討する・・・250%純粋な「政治運動」にほかなりませんが、どういう「副作用」を懸念しているのか。