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(ライター:坂元 希美)

「デスカフェ」というものをご存じだろうか。暗くした空間で死神や骸骨のコスプレをした人が給仕してくれる飲食店・・・ではない。ふだんの生活で話しにくい「死」について、ポジティブにカジュアルに気軽に語り合う場のことで、現在では世界70カ国以上で1万回を超えるデスカフェが開催されている。

 具体的な死について、あらかじめ考えたり話したりしにくいと感じてしまう人は多いだろう。「終活」や「エンディングノート」はブームになった一方で、厚生労働省が推進する「人生会議(ACP)」はあまり進んでいない。しかし、新型コロナウイルス感染拡大によって、私たちは急に自分や大切な誰かの死に直面することになっている。

 そんな今こそ、カジュアルに「死を語る」デスカフェが必要だと京都女子大学 家政学部 生活福祉学科 助教の吉川直人氏は言う。なぜ私たちは死について語りづらいのか、デスカフェがどのように役立つのかを「デスカフェサミット(Death Cafe Week 2020)」の実行委員長も務めた吉川氏に聞いた。

死生観とは、その人の根源的な価値観

――デスカフェとは、どのように始まったのでしょうか。

吉川直人氏(以下、吉川) 「死を語り合う場」がデスカフェです。暗くならず、ポジティブにカジュアルに、気軽に話すことができる場であれば、名称が違っていてもデスカフェと私は定義しています。

 1999年、スイスの社会学者バーナード・クレッタズが妻の死を経験したことから「気軽に死について話し合う場を作ろう」と考えて始めたもので、2011年にイギリスの社会起業家ジョン・アンダーウッドがdeathcafe.comhttps://deathcafe.com/)を立ち上げて開催のガイドラインを公開すると、世界中に広まりました。ここ日本でも多様な広がりを見せています。

――死は誰も避けて通れないものですが、なぜ、語りにくいのでしょう。

吉川 死について語ることは、自分の生き方や死生観といった根源的な価値観を開示することです。その大事な価値観を否定されたり、批判されたりしたらどうしようという恐怖があるからだと思います。

 特に毎日顔を合わせる家族などと根源的な部分でズレや違いが生じていることが明らかになってしまうとショックですし、いろいろと問題が生じる可能性もあります。なので、開示しないでおけば傷つかずにいられますから、そのまま「その時」を迎えてしまうというのが現状ではないでしょうか。

 家族の中でも世代差、あるいは経験や性別の違いで生死の価値観が大きく異なることがあり得ますね。デスカフェはゆるやかなつながりによる関係ですので、気軽に死生観について語る、開示することができるだろうと思います。