そんなタウンズ先生、いまだ38歳だった1953年に日本を訪れ、同世代、やや若い33歳の霜田さんと大いに意気投合します。

 翌54年には今度は霜田さんがコロンビア大学・タウンズ研に滞在、そこでの理論の展開と実験実装が大きな追い風になって、タウンズ研で人類初の「メーザー発振」が実現します。

 これは、あえて言うなら「超強力に波が揃った電子レンジ」の光で、人間の目には見えません。

 これをもとに4年後の1958年、タウンズたちは「可視光」でも「超強力に波が揃った光」が発振できる可能性を理論的に示します。

 6年後の1960年、米スタンフォード大学ウィリス・ラム研出身のセオドア・メイマンが実際にレーザー発振を実現します。

 このメイマン博士、レーザー光の本当の生みの親ですが、2007年に80年の生涯をすでに閉じておられ、実はノーベル賞など受けていません。

真の本物は無冠の帝王

 ノーベル賞をもらうとバカ騒ぎ、外れると「大したことない」式のリアクションがいかに愚かであるか、具体的に記すようになって干支が一巡しましたが、日本の軽薄なバカさ加減はちっとも治っていません。たぶん無理なのでしょう。

 さて、レーザーの父、メイマン博士の指導教官ウィリス・ラム教授は、原爆の父ロバート・オッペンハイマーの下で中性子物理初期の理論を建設した大理論物理学者でもありました。

 分かりやすくはっきり書くと、原爆や原子炉の遅い中性子の挙動を記述する、初期の仕事はラム博士の貢献が多大です。

 しかしラム先生、出身は米カリフォルニア大学バークレー校の化学なんですね。

 大学院博士課程の時期に核分裂が発見され、第2次世界大戦が勃発、原爆の基礎を与える仕事もしています。

 戦後はそれらと袂を分かち、スモールサイエンスの量子エレクトロニクスで世界の本質を追求する実験物理にシフト、いずれにおいても歴史的な業績を上げました。

 とりわけ、水素原子のマイクロ波スペクトルの極微のずれを観測した「ラム・シフト」は、第2次世界大戦後、軍事技術を純粋科学に転用する最大の謎となります。