前総理大臣の逮捕という衝撃的な展開で日本中を揺るがせたロッキード事件。なぜ田中角栄はアメリカに嫌われ、政治生命を絶たれたのか。その真相はこれまで不明であり、さまざまな陰謀論が唱えられてきた。国際ジャーナリストの春名幹男氏は最新著書『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA)で、陰謀説の真偽を一つひとつ明らかにし、今まで語られなかった本当の「巨悪」の正体に迫った。

「ロッキード社の文書誤配説」「ニクソンの陰謀」「資源外交説」「キッシンジャーの陰謀」といった説と並んで巷間で流布している陰謀説の1つに「三木の陰謀」説がある。三木武夫首相(当時)が政敵・角栄の事件を強引に追及し、角栄にとどめを刺したとする説だ。その説には、どれほど信憑性があるのか。春名氏による検証を、『ロッキード疑獄』から一部を抜粋・再編集してお届けする。(JBpress)

角栄の徹底追及を宣言した三木

 1974年10月9日、田中角栄の金脈問題が火を噴いた。この日、日本の調査報道の金字塔と言うべき、立花隆の特集記事「田中角栄研究―その金脈と人脈」を掲載した月刊『文藝春秋』11月号が発売された。この号は、国会や霞が関周辺の書店では翌日までにほぼ売り切れになったほどだった。これがきっかけになって、田中の金権政治に対する批判が高まり、11月のフォード米大統領来日中に、「田中首相が辞意」との記事も出て、結局、辞任に追い込まれる。

ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男著、KADOKAWA)

 後継は、椎名悦三郎自民党副総裁が調整役となって、三木武夫を指名した。三木が率いる派閥は弱小で党内基盤が弱く、まったく誰も予想していない選択だった。だが、三木が野党幹部とも接触していたことから、「三木新党」への不安が党内で強まり、福田赳夫を中心にした「福田新党」のうわさも出て、自民党分裂の危機が懸念されていた。そんな事情から、椎名は三木で収拾するほかなかったとみられている。「三木首相」は、最も可能性が低い選択とみられていたので国民は驚いたが、支持された。