(乃至 政彦:歴史家)
上杉謙信は女性だったと唱えたのは、八切止夫という作家である。八切はいくつもの史料と伝承を引きながら描いていたので、本当かもしれないと思う人もいたようだ。ゲームや漫画など、今なお「設定」が拡散され続ける理由とは? 連載の最終回は、謙信にちなんだ誰もが抱く素朴な疑問に迫ってみたい。(JBpress)
誰もが抱く素朴な疑問
昨年、上越教育大学附属中学校で、上杉謙信の講演を行わせてもらった。僭越ながら壇上より長時間お話をさせていただいた。
講演後に全校生徒からの質疑に応答する時間があった。質問の挙手が重ねられ、応答を繰り返すうち、親しみやすいと思ってくれたらしく、お堅い先生には聞きにくい「生涯独身だった謙信は、実は女性だったという説がありますが、先生はどうお考えですか?」という質問を頂戴した。
なんの準備もしていなかったが、ふだん自分が考えていることを応答させてもらった。そのときの内容をここでも披露しようと思う。
たぶん学生だけでなく、普通の社会人のなかにも「あの説はどこまで根拠があるのだろう?」と思っている方が多くいると思うからだ。
女性説を唱えた八切止夫
謙信は女性だったと唱えたのは、八切止夫という作家である。その発表媒体は、小説作品『上杉謙信は女人だった』であった。八切はいくつもの史料と伝承を引きながら描いていたので、本当かもしれないと思う人もいたようだ。八切が天才だったのは、司馬遼太郎のように「あれで描いた社会風景は、わたしの発明です。よく考えたでしょ」と舌を出したりしないところにある。それどころか、自分で書いた創作と現実の区別がついていないようにも見えるところがあった。
八切は自分の書籍を「出来ることなら読んだ後で、すぐ、ビニール袋へでも入れ、罐(かま)に入れ、地中にでも埋めて頂きたい。これだけ調べあげるのに、今の時代でも、二十年の余かかったから、後世の人がやるとなると、もっと大変だろうから」と永久保管を主張するぐらい自身の強い作家であった。
八切が活躍した時代、歴史学者たちは象牙の塔に籠もっていて、俗界には関心を示さなかった。学外のクリエイターが独自研究を発表するという新分野を切り開いたのが、八切であった。八切は、次々と異説を発表して一世を風靡した。
たとえば、本能寺の変の真相探しをエンターテインメントに昇華したのは、八切である。かれの掲げる新説は、紙一重の内容ばかりだが、そこがとても新鮮で、魅力的であった。かれに憧れて作家になった人も多いと思う。
ただ、重大な欠点がある。なにより品がないのだ。『上杉謙信は女人だった』では、無数のエログロシーンがあり、それが耽美なわけでもなく、情欲すら抱かせない完璧な駄文なのだ。山本勘助や鬼小島弥太郎は、平然と女性を強姦して、なんら悪びれないし、被害女性の描写も適当である。繊細さのないエログロは、本当にただエログロなだけで、これだけは一言も擁護できない。
ともあれ八切は、謙信が女人だったという筋書きで、一個の小説を書き上げたが、そこには、いまもこの設定を拡散させ続ける装置が仕掛けられていた。