共働きの夫婦が増えた当時の子育て世代は、仕事と家庭の両立が困難な環境に置かれていたから、「働く意味」や「子育てのあり方」、そして「夫婦の役割分担」を真剣に話し合い、実行していたように思う。少なくとも、そうしないと共働きが成り立たなかった。筆者は、夫婦の共有価値として「仕事面では夫が『主』、妻が『従』。家庭面では妻が『主』、夫が『従』」を基本とすることにした。そうせざるを得ないキャリアが予測できたのと、子どもに親の背中を見せながら教育したかったからである。もちろん、筆者のアイデンティティ確立のベースにあったのは「夫婦間のコミュニケーション」である。

共働きの「ワーク・ライフ・バランス」は夫婦間のコミュニケーションによるアイデンティティ確立が必要

 このような「個人的意思=アイデンティティ」は、客観的に評価のしようがない。あくまで、その夫婦・家族の生き方の問題であり、そこに他人が口を挟む余地はない。とはいえ、アイデンティティの確立に必要不可欠なのは夫婦間における、相手を理解しようとする「コミュニケーション」であることは肝に銘じておかなければならない。前編(※)で「個々人に確固としたアイデンティティが感じられないのはなぜか」と疑問を呈したが、夫婦間のコミュニケーション不足あるいは内容の希薄さが一因のような気もする。それに、誤解された「ワーク・ライフ・バランス」を被せてしまっているからなおさらだ。

 今回のコロナ禍は、共働きが当たり前の現代社会において、「なんのために共働きをしているのか」や「夫婦間の人生の共有価値はなんなのか」、そして「本当にリスペクト・支え合う関係が構築されているか」を考えるよい機会になったのではないだろうか。

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は、いかにも理念先行の仮想現実を連想させる。しかし、本来はもっと現実的な問題のはずである。夫婦がアイデンティティを確立するためには、よりブレイクダウンした問題から出発した方がよいだろう。

 具体的には、キャリアへの意向をどう持つか、老後を含めた人生の価値をどう捉えるか、教育・子育てのあり方、経済生活をどう安定させるか、親その他の老後ケアの必要性があるか、趣味・嗜好の力点をどこにおくか、などである。これらの事項について、夫婦間でコミュニケーションをとり、いかなる共働きの手法に結びつけていくかが重要だ。その結果が「アイデンティティ」なのである。


※ 新型コロナがあぶり出した「ワーク・ライフ・バランス」【前編】