(ジャーナリスト:吉村剛史)
中国が覇権主義的姿勢を強め、香港では言論環境などが大きな影響を受けている中、台湾の存在が以前にも増して注目されている。そしてその社会も、いま大きな変革期を迎えている。「台湾人」というアイデンティティが、かつてないほどに強くなっている一方、歴史的関係の深さから従来高かった日本語熱が急速に冷めている実態が、各種世論調査から浮き彫りになっているのだ。
台湾の民主化、本土化(脱中国色)を進めた日本語世代を代表する指導者、李登輝元総統が死去したいま、蔡英文政権は英語重視の姿勢を強化する政策を打ち出している。これによる日台関係への影響も不可避とみられ、これまで台湾の「親日感情」に一方的に頼っていた面が強い日本側の意識の切り替えが急務となりそうだ。
森元首相の弔辞に「違和感」
7月30日に97歳で死去した台湾の李登輝元総統。その弔問のため8月9日、日本から森喜朗元首相や超党派の議員団「日華議員懇談会」の古谷圭司会長(自民党)らがチャーター機で日帰り訪台した。
森元首相は総統府で蔡英文総統と会談し、弔意を伝えるなどした。また追悼会場となっている迎賓館「台北賓館」も訪れて李氏の遺影に花を手向けた。台湾メディアはこれを「弔問における最初の外国要人」と報じた。
同じ9日には1979年の米台断交後、最高位の高官としてアザー米厚生長官が台湾入りし、翌10日に蔡総統と会談、12日に台北賓館で李氏の遺影に花を手向けたが、これに先んじた日本の弔問団は「台湾との関係を重視する日本」を印象づけたかっこうだった。
これに対し日本側では「日台の強い絆が感じられた」と高く評価する報道ばかりだったが、実は台湾側では、森元首相が読み上げた「弔辞」の中の日本統治時代のエピソードに関し、「国籍を超えて」と表現したことなどに、「違和感がある」との意見を吐露する人も多かったのだ。
問題となったのは、森氏が弔辞で触れた、台湾ラグビーの先駆者で日本統治時代に日本代表も務めた柯子彰選手(1910~2010)のくだり。森氏の実父と同じく、柯選手が戦前、早稲田大学ラグビー部に所属したエピソードに絡め、「私の父と柯子彰選手が、国籍を超えて、同じラグビーボールを追いかけた」と表現した。
台湾は日清戦争の結果、1895年の下関条約で清国から日本に割譲され、第二次世界大戦での日本の敗北までは日本領だったという歴史的事実があり、日本統治時代に教育を受けた80歳代の台湾人男性は「日本の元首相から日本時代を公然と否定されたようで、がっかりしました」と落胆した。また30代のビジネスマンも「『22歳まで日本人だった』と公言し、そのことで批判も浴びた李元総統への弔辞としては、配慮を欠くのではないか」というのだ。
さらに同じ弔辞の中で、「あなたは台湾総統の経験者として、私は日本国総理として、それぞれの立場はありましたが」とした部分についても、地元紙記者は疑問を呈する。
1972年の日中国交正常化以降、日本と台湾の間に正式な国交はなくなったとはいえ「中華民国憲法を否定しかねない『台湾総統』という表現を日本の元首相が訪台の場で公然と口にしたのは首をかしげる。対中国の関係で『中華民国総統』の表現を避ける際は、単に『総統』とするなど、ぼかすのが通例だったが、外交現場の専門家による原稿チェックがなされていないという杜撰な印象を持った」、「せっかく真っ先にやってきたのに、結局のところ、日本人は台湾のことを何もわかっていない、という印象を一部に残した」と、その評価は散々だった。