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香港を初訪問した習主席に同行する梁振英第3代香港特別行政区行政長官(左)と林鄭月娥第4代行政長官(右)(2017年6月29日、写真:AP/アフロ)

(文:樋泉克夫)

 このたび施行された「国家安全維持法」による香港の現状――「高度な自治」を謳った「一国両制(二制度)」が突き崩される過程を追って見ると、特別行政区政府の頭越しに習近平政権の意向を代弁するかのような動きを見せる人物が浮かび上がってくる。

 その人物こそ、2012年から2017年まで第3代香港特区行政長官を務め、現在は「中国人民政治協商会議全国委員会」(「全国政協」=参議院に相当)副主席を務める、梁振英である。

「一国一制」が密かに仕掛けられていた?

 最近の彼の政治的振る舞いは、香港社会を構成する3本柱の内の「政治」と「経済」を結び付ける一方で、残る「民意」を封じ込める方向に作用していると思える。さしずめ「大物フィクサー」とでも言えそうだ。

 そして驚くべきことに彼は、三十余年以前に「高度な自治」を条文化した「香港基本法」の作成に、咨詢(諮問)執行委員会の秘書長として大きく関与していた。香港基本法の中に、最初から「一国両制」から「一国一制」へのカラクリが密かに仕掛けられていたと考えるのは、飛躍が過ぎるだろうか。

 香港基本法成立に至る過程・内情を彼以上に詳しく知った者は、現在の香港に見当たりそうにない。その多くは鬼籍に入り、あるいは政治的には過去の人になってしまった。

 はたして「一国両制」が始まった時点から「一国一制」へのカウントダウンが始まっていたとするなら、現在の香港を覆う異常なまでの政治状況は、短期的には習政権が見せる強硬姿勢の現れと言えるだろうが、やはり長期的には共産党政権それ自体が抱える統治体質に起因するに違いない。

若く無名のビジネスマンが異例抜擢

 梁は1954年香港生まれだが、中国山東省威海衛をルーツとする。じつは香港の警察関係には山東省出身者が多いとされることから、彼の一族の中に警察関係に連なる人物がいたと考えてもあながち間違いはないだろう。

 彼が最初に政治的注目を集めたきっかけは、1985年12月に「香港基本法咨詢(諮問)委員会」の19人の執行委員のうちの1人に選ばれたばかりか、秘書長として同執行委員会の取りまとめ役を務めたことだ。

 同委員会人事に中央政府の意向が大きく反映されていたことは言うまでもない。

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